他では中々見れない超深堀がスゴイです、大量の馬出と三日月堀が特徴的です武田勝頼が高天神城を取る為に作った城ですね、気合い入ってますまさに武田流築城術、これぞ深堀、馬出とは何かが良く分かりますよ駐車場はビジターセンター前8台位と少し先の第二駐車場15台位ですね、ビジターセンターは朝10時に開きますが週末は早く開けてくれました中には説明パネルと高校生が作ったジオラマがあります、このジオラマが凄く精巧で分かりやすいですビジターセンター横から登城開始です、パンフレット箱があります元は大手曲輪だったであろうキレイなお茶畑を抜けると早速豪快な外堀、深さがハンパないです外周から攻めたいが神社が見えますまずは大手馬出の諏訪神社で安全祈願をして外周時計回りに攻めました豪快な外堀を見ながら二の曲輪北馬出へ、周りの三日月堀も深いですね景色の良い北馬出から門をくぐって二の曲輪へ向かいます、仕切土塁を登り土橋を渡り虎口から本曲輪へ、内堀もかなりの深さがありますね本曲輪を歩き回りカンカン井戸を見たら水の手曲輪へ降りて行きます足場は悪いが最下まで降りて回る様に戻りました、ここだけ坂道ですね、下では鹿が水飲んでましたが驚いて逃げて行きました、こっちがビックリですよこの辺りは犬走り土塁もありますが危険なので歩けませんね二の曲輪を歩いて南と東の馬出へ向かいます、小さめの馬出ですがやはり三日月堀は深めですね南馬出のすぐ横が第二駐車場ですがフェンスで出られませんよ外堀脇を歩き再度諏訪神社に出てから駐車場に戻りましたお疲れ様でした 4月上旬この後はお時間あれば高天神城へ
続・日本100名城。武田氏ゆかりの城。山城なので、立派な天守や石垣はありません。空堀がメインとなります。空堀しか無くて、からぶりかぁ。なんて言わずにちょっと見てやってください。その規模におったまげるでしょう。間違っても堀に落ちたりしないようにご注意下さい。復元が無いので、城に興味の無い人は正直、退屈だと思います。しかし大昔にここで一つの歴史があったと思うとロマンが感じられます。また歴史に興味が無い人は、さらに退屈でしょう。しかし、ここは広いので思いっきり走り回って下さい。堀を越え、林を抜け、ぐるっと一週。体力を消耗して当時の城攻めの大変さがわかるでしょう。そんな体力無いよって人は、寝そべって小休止でもしてください。ただし、寝ぼけて堀に落ちないように。
旧東海道に位置しています。城はありませんが丸馬出やら堀が現存しています。私には価値は計りかねますがどうやらすごいようです。堀はかなりの深さです。当時はこのぐらい深くなければ守る用途を果たさないのがわかりました。人工物がほぼないので人によれば物足りないと感じるかも知れませんが、当時を偲びながら自然の中を散策することが出来るので私は大いに満たされました。人工物のケバケバしさを嫌う方にとってはここはかなりツボるかもしれませんね。天気が良ければ真北に富士山が望めますし、カモシカにも遭遇することもあります。他にもきれいな資料館、トイレが新設されておりますので、城跡に興味がない方でも東海道歩きの重要なトイレスポットとしても役割を果たすのではないでしょうか?もしここで休憩を取るなら歩いて3分くらいのところにアルムやこもれびという喫茶店がありますのでそちらで休むのも良いのではないでしょうか?
国指定史跡です。戦国時代の後半、武田軍の遠江侵攻の拠点として築造されました。牧之原台地の突端に位置する山城でありながら、東海道沿いの交通の要衝にあたります。山城らしく石垣はないですが、土塁や空堀、曲輪などが確認できます。特に甲州式築城法ともいえる、半円形の丸曲輪がしっかりと残っており、テンション上がります!(但し、後年徳川軍によって大幅改修しており、純粋な武田式とは言えないようです)。真夏に訪問しましたが、下草は刈られており、それなりに手入れされているようです。実際に足を踏み入れると、空堀の大きさと深さにびっくり!深さはざっくり6~7mはありそうでした(ビルの3階ぐらいから地面を見下ろす感じです)。裏は断崖絶壁ですし、表は複数の馬出とこの空堀、二の丸は土塁を積み上げており、これはガチの前線基地だと分かります。どうやって徳川軍はこの城を攻略したんでしょうね?尚、一番北にあたる二の曲輪北馬手には、ぽつんと薬医門がありますが、新しすぎてまだ周囲と馴染んでないです。また、薬医門の向こうには富士山がみえます!
戦国時代、徳川VS武田の戦いが繰り広げられたお城。武田側が築城したと言う。東海道を歩いたときに行きました。茶畑を横切り行くと言うおもしろいコースで行きました。
駐車場🅿️無料。とてもキレイに整備されていました。ウッドチップが敷いてある場所もあり歩きやすいです。高低差はほぼありません。今の季節はコオロギがたくさん🙃サワサワサワっとまっくろくろすけみたい!総曲輪や馬出が見どころでしょうか…。
観光地とは言えにゃいけど、ハイキングコースとしては起伏も有って大満足デシ🙆石畳から登ってぐる〜〜っと一周、1時間位にゃん😆
いつもの山だけの城跡かなと思って行きましたが、かなり整備されていて、とても素晴らしい城跡でした。資料館も駐車場もあり、散策する場としても悪くないです。曲輪や空堀もしっかり残っていて、丸馬出しもはっきり残っています。なぜかカモシカもいました。
掘りが深い、落ちたら簡単に越えられませんね。馬出しなどの遺構が綺麗に残ってます。敷地が広く、遊歩道が整備されてます。冬だったからか、歩きやすかった。
全体のあまりの広さと空堀、隕石が作ったかのような鋭い角度と深さの水堀にびっくりしました。必見ですね
広大な曲輪と堀切の数々。見事な城跡でした。
立派な馬出し跡と掘りが残る山城ですが整備されているので歩くのはさほど大変ではありません ビジターセンターで地図ゲットしてから登城するのがおすすめです
よく整備されています。大規模な三日月堀の馬出、空堀もダイナミック。私はやっていませんが、駐車場に続100名城のスタンプもあります。
遠江攻略のため武田氏が築いた城で、徳川家康が攻略した後は、牧野城と呼ばれましたが、武田勝頼が亡んだ後は存在意義を失って、廃城となっています。城内は広く、曲輪や堀切、土塁跡を見て回れば、適度な運動となります。ただ高地にある城跡ですが、植林と雑木のため、周囲の景色はほとんど見えません。
続日本100名城NO146。二の曲輪の丸馬出が圧巻です。それに伴い丸馬出郡があります。諏訪神社は勝頼の母が諏訪氏の出であり、築城に伴って諏訪神社を祀ったそうです。
残存している姿が、想像をかきたててくれるくらいきれい。これは攻略は難しいのだろうなとか、ここから馬を出したのかあなど、歴史探索を楽しくしてくれる残存の仕方。さらに今観覧設備も建設途中なので、これからもっと見やすくなっていくでしょう。
広大な縄張りに深い空堀が刻まれ、それぞれの曲輪の虎口が、勢いを付けて侵入しようとする敵を防ぎます。一見の価値ある続百名城です。
曲輪、馬出などの武田軍の築城術を知る。
戦国時代に武田家によって築かれた城郭の遺構です。けっこう堀跡なんかが良く残っていて往時を偲ばせます。楽しい。
すごい山城。土塁、曲輪、堀がとても良く残っている。土塁の高さは現地に行かないと分からないと思う。是非行ってもらいたい!
歩道が所々 整備されていて歩きやすく距離的にも易しいです(^ー^)運良く神の使いカモシカに逢えました♪
お堀いっぱいです。順路札や看板など整備されており、草刈りなどもマメに入っているようなので歩きやすく散策には良いです。
かなり大きな城跡ですが、整備されているので見学は楽です。眺望も抜群です。
続100名城、歴史館内も綺麗でとてもわかりやすい資料館です。資料館の前が東海道だそうです。
続日本100名城。遠江攻略の拠点として武田勝頼の命で馬場信春が築城。諏訪明神を祀っている事から諏訪原と呼ばれていますが、徳川家康が攻め落城した後に、中国の故事(牧野の戦い)に倣って牧野城と名を改めます。また縄張りの形から扇城とも呼ばれています。大手外馬出と大手曲輪等、一部が茶畑になっていますが、他は良好な状態で残っています。丸馬出と三日月堀が素晴らしい!特に二の曲輪中馬出は周囲の木々も切り倒されており、その守りの固さが一望できます。
丸馬出し、三日月堀が素晴らしい城跡です。見学しやすく、散策していて面白いです。
これから観光用に整備されるような雰囲気でした。ウッドチップが敷いてあるのは良かったです。全域でお願いしたい。
JR金谷駅から、左側に出て線路沿いを歩き、国道を左に行き、旧東海道石畳に向かいます。石畳まで約5分。石畳と言っても丸石を下に敷き詰めただけのデコボコ道。徒歩でも足を挫かないように注意してください。石畳を登りきるまで、駅から約15分。そこを右に進むと見学者用の第1駐車場に到着します。駅から20分でした。駐車場の左奥にパンフレットと続100名城のスタンプが引き出しに入れてあります。駐車場の奥が諏訪原城跡になっており、騎馬部隊が主であった武田軍の築城術を見ることが出来ます。今、第1駐車場に城の見学施設を建設中で、今春には完成すると思われます。
観といて損はないが、平城もしくは戦国ファンじゃないと辛いかな!今は何も無いからね。想像力働かせて?いざ高天神攻めへ!?無理だな!
歴史を感じました。資料館が新しくできていました。木々に囲まれていて涼しかったです。
馬出しってよくわからなかったが、ビジターセンターでわかりやすいジオラマを観てから、現場を見ることで完全に理解できた。東海道沿いにあって、このあたりは金山坂、諏訪原城、小夜の中山など雰囲気がよい。武田流築城術の好例とのこと。
大河ドラマの影響で、駐車場も綺麗に整備されて寄り易くなりました😊城跡の規模はそこそこ大きいので、楽しめます⭐️
訪問した時には新しくビジターセンターができていました。曲輪や馬出が印象的な城跡です。
人力でここまで掘れるのか!と思う程巨大な空堀です、写真では感じる事が出来ない迫力、必見です。
眼下に駿河国と遠江国を分ける“越すに越されぬ大井川”を望む、牧ノ原台地に城を築いた意図が良くわかります。
なんとなく城跡と分かるけど、そのつもりで行かないとガッカリするかももう少し石垣とかあれば嬉しい少なくともギャルはいない
規模の大きさにびっくり。
山城跡が良く残っていて、綺麗に整備され是非皆に散策してほしいです
いやはや、とても立派な城跡である。想定外の喜び。所要時間は約60分ぐらい見ておけばよかろう。近年できたビジターセンターにて続100名城スタンプを押印し、内部にジオラマ等資料があるので諏訪原城のおおよそを頭に入れて登城したまえ。そのビジターセンターから城跡入口があり、随所に順路の看板があるので道に迷う事なく登城できる。遺構の説明板も相当数設置されており整備の良さが随所に垣間見れる。全体的な曲輪の形がとても変わっており、その曲輪がある程度はっきりとわかる残存具合なので順路通り歩くだけでもその実践的な曲輪を堪能することができる。ニの曲輪を取り囲む外堀の規模は圧巻、馬出の数の多さがすごい、かつ馬出自体かなり広い馬出もありとても変わっている。曲輪の周囲の低土塁も目視ではっきりと確認できる残存具合だし、井戸跡もある。とにかく遺構が多く曲輪も堪能できるというなかなかおススメ度合いの高い城跡である。もちろん「天守閣ないじゃん」「石垣無いんだ、いやん」という方にはおススメできないが、中級者以上の方だと100%満足のいく城跡であると厳しく断定する。山登りのレベルもとてもイージー。ほぼアップダウンがない(駐車場までにすでに結構登ってるからね)ので老若男女楽しめる城跡である、と私は思う。お城好きな方ならハズレはないと思う。土塁マニア、曲輪フェチ、馬出大好き少女、お堀LOVE、いろんな方を満足させることができる城跡である。是非歴史を感じてみて。
超大型の丸馬出しは深さも規模も迫力満点、人力で掘ったとは!
武田氏が高天神城攻略の足がかりとして築き、攻略後は連絡のための拠点となった城。旧東海道に傍にあって睨みきかす。遺構がよく残り、三日月堀、丸馬出し、土橋などの跡を明瞭に確認することができる。また、樹木が伐採されていて、曲輪の様子が確認しやすい。
諏訪原城(すわはらじょう)は、遠江国榛原郡金谷(現在の静岡県島田市金谷)にあった戦国時代の日本の城(山城)である。諏訪之原城とも書く。甲斐の武田氏が築城。城内に諏訪大明神を祀ったことからこの名が付いたとされる。徳川氏時代の城名は牧野城。『家忠日記』には牧野城のほか牧野原城とも記載。東照宮御実紀(徳川実紀)に、牧野の城(諏訪原をいふ)と記載。現在は建築物は残っていないものの、堀・曲輪・馬出などの遺構がはっきりと残り、戦国時代の武田氏・徳川氏の築城様式を知る上で貴重なものとなっている。国の史跡に指定されている。
建物はありませんが、お堀がたくさんありました。かつてのスケールの大きさを感じることができます。水のない堀の中に野生のイノシシが居たのには少々驚きました^^順路の看板が中途半端でしたが、ウッドチップの敷いてある歩道は歩きやすいです。
馬出と堀がとても迫力ある戦国ファン必見の山城。遺跡としてもよく整備されており、じっくり訪れるなら30分〜1時間程度は欲しい。
流石、馬場信晴の縄張り、三日月堀は見事です。
きれいに整備されてました。
土塁が素晴らしいです。
最近この場所を知りました。散策するには最高の場所です。静で、ウグイスが鳴いていたよ。日本カモシカにも出会えた。秘密の場所にもしたいけど・・
この時期ワラビが取れました‼️
武田氏の高天神城攻略の為の陣城。行くたびに整備が良くなっていく
馬出が、たくさんあり、見ごたえがあるお城です。
武田勝頼の家臣である馬場美濃守信春✨
建物は現存しないものの、武田方の城らしい、巨大な堀切や馬出が保存されています。駐車場は2箇所あり。
二三十年前は、雑木林と茶原が広がった印象でした。空堀周囲や空堀内にも樹木が生い茂り殺伐とした光景でした。今は整備されて遺跡として保存されている。発掘も行われて武田氏、徳川氏の時代も明らかになった❗
奥に行けば行くほどワンダーランド。ぱっと見とのギャップ!!
写真で見たより、馬出しの堀の深さと広さが凄かった。それ意外でも、堀が深くて全長どれくらいなのか気になった。本丸からは城下町と電車も見れて展望はそれなりにいい。縄張りとしても面白いと思う。明確にどこからの敵を迎え撃とうとしてるのかがはっきりしてる。
馬出しを感じたいならココ
思ってたより広かった❗ 掘りも深く歴史を感じました
発掘、整備中これからに期待
国指定史跡諏訪原城跡戦国時代、今川氏没落後の遠江駿河では武田と徳川の間で激しい戦いがありました。武田信玄が病没後の天正元年(1573年)跡をついだ武田勝頼は遠江侵攻の為の城を牧之原台地に築城。普請奉行を馬場信春に命じ諏訪原城を築かせました。天正3年(1575年)長篠の戦いで織田徳川軍に大敗した武田氏はその後没落していきます。その後諏訪原城は徳川軍の拠点になり大きく改修され徳川氏が関東へ移封になると廃城になりました。現在も遺構が良好な状態で残っており、武田流の築城技術がよくわかる巨大な空堀が特徴がわかるように整備されていて、とても素晴らしい城跡です。2017年続日本100名城に選定されました。
続日本百名城に入っています。18キッパーですので、当然JR&徒歩です。金谷駅で降りて、徒歩30分くらいかかります。途中、東海道の石畳を歩きます。行きは、登りでかなり勾配もあり、かなり歩きづらいですが、江戸時代の旅の情緒も感じることができていいと思います。石畳が終わって5分くらい歩けば、諏訪原城の駐車場に着きます。ここにスタンプがおいてあります。パンフレットもおいてあるので、1部もらいましょう。順路をかなり丁寧に示してくれているので、あまり迷わずに、みるべきポイントをまわることができます。また草もきっちり刈ってくれていて、歩きやすかったです。武田家の丸馬出がきれいに残っていて、よく理解できました。から堀もよく理解できます。
戦国時代の古城や、歴史が好きな方には面白いところです。木を伐採した跡(切りかぶ)が多いですが、往時の形状がほぼ残っていて、広く、深い空堀はなかなか圧巻です。整備が進めば、さらに見ごたえが増すことでしょう。高天神城と並んで、武田、徳川の戦いの痕が偲ばれる古城です。
武田流築城術の象徴でもある丸馬出が綺麗に残っています。ある意味教科書的なこの地形に興奮してしまいました😤三日月堀と大きな横堀は高低差があり、壮観です❗️
戦国時代の山城として一部茶畑になっていますが良く遺構が残っています。空堀の下から本丸を望む事のできる城跡です。順路の案内板のも整備されており見学にお勧めです。
戦国時代の東海道における戦略上の要地に位置し、武田信玄が砦を築き、その後天正元(1573)年、遠江侵攻の拠点・徳川氏に対する備えとして、信玄の子、武田勝頼が家臣の馬場美濃守信房に命じて、牧之原台地に築いた山城。武田家の守護神諏訪大明神を祀ったことからこの名が付いたと言われている。自然を巧みに利用した三日月堀や丸馬出しなど「甲州流築城法の典型」といわれる遺構(九分通り現存)は必見。国指定の文化財、続日本100名城に選定された。
空堀の迫力が凄い
直虎でも紹介されました。とても見ごたえのある掘り、曲輪。当時のようすが想像できてとても良い場所です
稀に見るほとんど手付かずのまま現存している城郭跡。丸馬だしはスゴい
堀の深さが見応えあります整備もしっかり行き届いて遺構をしっかり確認する事が出来たので良かったです
堅固な丸馬出しは見応えあります。
空堀が印象的ですよ、もっと復元して欲しいですね。
北と東は比高差の大きい絶壁で、特に東は金谷駅方面、大井川を見下ろす眺望が良いです。一方南と西は比高差がほとんどないため、深い空堀と丸馬出を多く連ねて守備を固めています。
自然の地形を堀に利用した城だったらしい、今は跡形も無いがこんなところに武田の城があったとは。
丸馬出しの三日月堀は圧巻。順路に沿って見学して1時間かかりました。
駐車場が狭いけど 堀を見やすく整備したので山城好きにはいい場所
圧巻の丸馬出し。一見の価値があります。年々整備されて来ています。
直虎紀行…10月29日放送分❗️スゴい広い敷地だったんだ~!富士山も見えて良かった🎵
東海道と大井川を見下ろす高台の山城、防衛のための城というのがよくわかります。富士山も綺麗に見えておすすめ。
復元整備されて年々良くなってます。続100名城に選ばれた名城です。
かつての攻防をイメージしながら散策
整備がしっかりされていてパンフレットもありわかりやすかったです。
整備され貴重な遺構が遺されている。富士山も綺麗❗
武田流の築城技術の詰まった広大な山城です。深い堀と丸馬出しが見所です。
車で行くと、駐車場から苦労しないで曲輪や空堀の遺構を観られるのでナカナカ良いです(県道234から)。しかも遺構が結構良い状態。
馬出しや掘り等の遺構が状態良く残り手入れが良い!
素晴らしいです。整備されて歩きやすくなりました。
壮大な山城の保存状態が良い。続百名城に入っているのも納得。
上物がないため想像力がかきたてられますね。緑の季節に散策すると気持ち良いですよ🍀
徳川家康は、この城を攻め落とした後に中国の故事から牧野(牧野原)城と改名したそうです。牧之原の地名のルーツと言えます。それから約300年後、その徳川の旗本が開墾して静岡茶業の礎を築くとは。