お寺の皆さまお人柄が良い
生駒親正の時代にその庇護を受けて寺の全盛期をむかえた❗今でも生駒家分家の人間が香川県観音寺市に居るのは、その名残☝豆知識讃岐の守護職は細川氏であったが、三好長慶の弟十河(そごう)一存が養子となった十河氏が急速に勢力を伸ばし事実上の国主となった。十河一存が30歳で急死すると、三好長慶のもう一人の弟である義賢の子が十河存保として後を継いだ。織田信長が畿内のほとんどを制圧すると十河存保は織田信長に降伏して家臣となったが、そのころから長宗我部元親の侵攻をうけ、豊臣秀吉の四国攻めの直前にはほとんどの領地を失ってしまった。十河存保は豊臣秀吉に付いたので三万石だけ安堵され、他の大部分は秀吉の家臣であった生駒親正(17万石)の領土となった。十河存保は九州征伐で討死、幼い後継者も家内の揉め事で命を落とし、十河家は改易となった。生駒家は1637年にお家騒動を起こして事実上出羽国で一万石まで減らされてしまい、以降は高松松平家(水戸徳川家分家)などに支配された
二本のイチョウが綺麗に色づいています
住職さんがとっても親切落ち着きます