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御所神社
日本, 〒800-0024 福岡県北九州市門司区11
外観
御所神社

コメント
北九
件のクチコミ №1

朱色に輝く鳥居が印象的なこの神社。お稲荷さんも特徴的です。中は閑散としていていました。宮司さんらしき方も見当たらず、御朱印はいただけませんでした。

光太
件のクチコミ №2

安徳天皇を奉じた平家一門によって建てられた仮御所が仮の内裏(だいり)と呼ばれていたことから、この辺り一帯が「内裏」(だいり)→大里と読み替えられて地名になったようです。恐らく、見つかれば滅ぼされる命の危険があったことから、カモフラージュの意味もあったんでしょうね。朱色が鮮やかな本堂です。

れも
件のクチコミ №3

朝に行きました。神主さん?らしき人が朝早くから掃除していました。近所の人も何人かちらほらいました。地元の人に愛されている神社なんだなと感じました。また行きたいです。

合澤
件のクチコミ №4

令和2年2月6日神社本殿の中にある明治天皇玉座の間明治 35年11月10日熊本で行われた陸軍特別大演習を御統監の為に大里に上陸なさいました。このとき明治天皇は大里停車場構内に新築された休憩所にて熊本への往復ともしばらく御休憩になりました。この休憩所の建物を安徳帝旧蹟の柳の御所拝殿として遺し、永く御聖徳を偲ぼうとの声が起こり、当時の村長、村会議員の人達は九州鉄道株式会社と折衝を重ねた結果、遂に寄贈が決まり、翌年ここに移築造営されたものでありますパチンコ屋台の側に有るラーメン屋には何度か来ていたのですがパチンコの目と鼻の先物にこんな立派で明治天皇と縁が有る神社が有ったのにはびっくりでした。御朱印も貰いました。今度はゆっくり探索したいですね。

吉良
件のクチコミ №5

幼少時に独りで遊んでいました。鳥居を往復したり、お稲荷さんに話しかけたり〜今考えると変な子と思われていたと思います、、、

チェ
件のクチコミ №6

安徳天皇を擁して西国落ちした平家は、緒方惟義に大宰府から追われ、逃げ込んだ芦屋の山鹿城にも敵が迫ってきて、『取る物も取りあへず、小舟にとり乗って、渡られた』先が「柳の御所」。一時的にであるが、安徳天皇が住まわれた所ということで御所となった。「大里(内裏)」という地名が現在まで残る。源平盛衰記の中の、小舟に乗った平家が到着した場面『沢辺の虫は声弱り、礒打浪に袖を濡す。柳と云所に着かせ給ひたりけるに、楊梅桃李を引植て、九重の都に少似たり』京の御所に似せて、柳、梅、桃、李を植えたという。そこで平忠度が次の歌を詠んだ「都なる九重の内恋しくば 柳の御所を立寄りて見よ」平忠度

寺尾
件のクチコミ №7

戸上様

まる
件のクチコミ №8

埴輪の家みたいなお社が素敵です境内も綺麗にお手入れされて気持よくお参りできますキラキラのお稲荷様も良いお顔でした拝殿左のお宅にご在宅であれば御朱印を頂けます「史蹟 柳御所」のスタンプです

KA
件のクチコミ №9

安徳天皇の柳御所があった地です。御所神社の入り口の右手の旧上田清次郎邸は田川市出身の炭鉱王で馬主で有名な方が建てたようです。内装は飯塚市の『伊藤伝衛門邸』のデザインが随所にみられるとか。建具のデザインも昭和初期に流行ったアールデコの影響を受けたものです。建物は戦中から戦後あたりの竣工のようで、数年旅館としても使用されましたが、今では二軒ほどのテナント兼住宅となっています。

平畑
件のクチコミ №10

いつの間に、屋根が真っ赤になったんですか? この近所に住んでいたのが、もう30年くらい前だからわからないんです。それから数年後に小倉に引っ越したから、知りませんでした。

ki
件のクチコミ №11

正式名称は御所神社➔柳之御所 ですm(_ _)m

松田
件のクチコミ №12

立派な神社です。

福井
件のクチコミ №13

この地を「内裏」と言われていたが畏れ多いので字を変えて「大里」としたと云われる。まさか目の前の関門海峡が平家滅亡の場所になるとは思いもよらなかったろうな。また、気になることが書かれているのだが・・・賢明なる読者諸氏であれば気が付くのであろうが、ここに柳ヶ浦と平清経の名が見える。えっ、ここが柳ヶ浦なのか。駅館川が注ぎ込む豊前海が柳ヶ浦ではなかったか。903年前のことなのだが正しい記憶(記録)はないのだろうか。安徳帝にしてもその後の説が色々とあることも判っているが、この対岸にある赤間神宮横の阿弥陀寺の八角墳が・・・うーむ。

生島
件のクチコミ №14

春と秋にお祭りが有ります。

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  • 住所:日本, 〒800-0024 福岡県北九州市門司区11
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