古墳を持つ丘にある無人のお社です。主祭神は息長帯媛命、品陀和気命、多紀理媛命、市杵島媛命、多岐都媛命、興津彦神、大山祇神。創建は貞観の時代(859~877年)に豊前守良道が、山城国の石清水八幡宮を徳力長尾の岡に勧請したのが始まりらしいです。応安7年(1374年)、大内義弘、鳥居及び社領寄進、文明の時代(1469~1487年)、御土御門天皇、勅額を奉納。天正の時代(1573~1593年)、大友の兵火により社殿焼失。慶長の初め毛利氏により社殿再興。慶長9年(1604年)、細川忠興、拝殿建立。その後、幾度かの再建や改修を経て現在に至ると伝えます。碑文があるのですが難しくて読めません。境内には6世紀の石室式古墳も残っている為、古より聖地であったのだろうと推測します。境内は小ぢんまりしていますが、静寂のみが支配する別空間の様です。拝殿は入母屋平入り唐破風を持っています。本殿は三間社流造、屋根には5本の鰹木と外削ぎの千木を乗せています。甚だ私的な事になりますが、この神社は今の家の氏神様かも知れません。蒲生八幡神社という有人の古いお社があり、一応はその神社が周辺一体の産土神なのですが、更に細かく分けるとどうもこのお社らしい。詳しく調べないといけないと思ってます。参道は急な長い石段を上らなければなりませんが、背後から境内に抜ける裏参道もあります。境内には10台程度は止められるでしょう。個人的に大切にしたいお社でした。
立て替えてまだ新しい神社で参拝者はすくない。
近くのお宅で仕事をした帰りに寄りました。境内迄上がれるのですがちょっと分かりにくいですね。
小倉再発見のスタンプをもらいに行きました。普通でした。ひょっとしたら御朱印もと期待しましたが、残念、頂けませんでした。
裏の山に遺跡が在りそうな神社。いくつかの謎が隠されてそうだ🐺
本殿はまだ新しいのですがなかなかの細工ですよ
令和元年12月29日参拝
坂がきつい やまのうえさ