2021年1月6日0950時訪問柳(やなぎ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、桃型駆逐艦の4番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「柳」があるため、こちらは「柳 (初代)」や「柳I」などと表記される。就役 1917年5月5日全長88.39m全幅7.62m兵装40口径安式4.7インチ(12cm)砲 3門6.5mm単装機銃2挺18インチ(45cm)3連装発射管2基6門四四式18インチ(45cm)魚雷10本速力31.5ノット竣工時定員 109人1928年公表値 110名略歴1916年(大正5年)10月21日、佐世保海軍工廠で起工。1917年(大正6年)2月24日午前10時5分進水、同年5月5日竣工。第一次世界大戦では、1917年から1919年(大正8年)まで、地中海の海上護衛に従事した。1932年(昭和7年)、第一次上海事変において揚子江水域の作戦に参加した。1940年(昭和15年)4月1日、除籍。その後、佐世保海兵団の練習船として使用。戦後解体、船体は北九州市若松区若松港の防波堤として使用(軍艦防波堤)。(上記ウィキペディアより)昨年末から車中泊で四国をめぐって、最終目的地として訪問しました。到着したのが夜中だったので近くで車中泊し、朝に撮影。太平洋戦争で練習船とはいえ船体が残っているのは、国内では日露戦争の戦艦三笠とこちらの駆逐艦柳のみ、かと思います(スキューバダイビングで戦艦陸奥が見られますが、海底40mで気軽に行く事は困難です)。ずっと見に行かねば!!と思っていたので、暫くずっと観察しておりました。錆びて少し中が見え、装甲の厚さも2cm位だと分かりました。舳先は別に取り付けられたのか、少し分厚いです。舷窓(げんそう、私はげんまどだと思っておりました…)はあったのか、コンクリートのもっと下なのかは分かりませんでした…日本は少ない物資の中でアジア等に進出し、領土を増やす事で少ない物資を増やそうとしておりました。しかし、潤沢な資源を持つ亜米利加(アメリカ)とまともに戦争し、敗戦…現在は友好国として手を取り合っております。日本は敗戦の記憶を消したい為か、余り歴史や実物を残しておりません…私は、知らないとまた戦争を軽々しく起こすと思うので、どんな状況で戦争を起こしたのか、実物の兵器を残すべきだと思います。現時点でも世界最大の戦艦大和も沈みました…日本は世界最大の大砲を積んだ艦船を建造し、それでも敗北しているのです…出来る事であれば、この駆逐艦柳を掘り出して整備し、展示すべきだと思います。個人的には当時同盟国であった泰(タイ)に、日本が建造した駆逐艦メクロンが現在も残されているようなので、このコロナの状況が終息したら行って動画に納めたいと思っております。あの悲劇が二度と繰り返されないことを願って…
駆逐艦だった物が防波堤となった貴重な場所であるが表示版が剥がれ普通の釣りスポットとなってるので長所と短所があるから評価を3にした。
近い将来完全に船体を見ることができなくなる可能性を考えると一度は見ておいて、戦争について考えてみるのもいいと思います。
海を渡る大きな橋を2つ越えて、何回も交差点を曲がってようやくたどり着きます(Googleマップが最短ルートを案内するからかも知れませんが…) 到着した入口自体がすでに『涼月』という駆逐艦(1列に埋め立てた駆逐艦3隻の真ん中)の真上にあたります。甲板部分が見えている駆逐艦『柳』の船体は錆びついていて、色あせた案内看板と併せてもの悲しい雰囲気です。釣り人が数人いましたが、段差になっておりつまずきそうだし、縁が錆びてるので腰掛けにもならない感じで、観光堤防以外役にはたてていないのが、余計残念でした。本当に堤防なので柵がなく転落注意⚠あと、雨よけの屋根やトイレもなく近くのコンビニは1km以上離れていますので、トイレは済ませてから行くようにしましょう!
久々に 訪れて見た…約55年前に 叔父と叔父の釣り仲間達とその頃は、私は.10才でした。魚釣りに…橋桁船に乗ってその時は、三隻の船が並んでいた。近づいて見た時…穴だらけあのボロ船に行くのと…聞いたら昔の軍艦…駆逐艦 大和の護衛艦 今も此処でまだ 働いているて…このボロ船が 穴だらけ船が…??穴だらけの船が三隻並んでいた。甲板に幅狭い板が 貼って有るだけ板の下は海叔父達は 釣りを私は、がざみ釣り 入れ食い状態暗くなってからは カンテラで照明を少し肌寒いので金属バケツに 炭と石炭で 暖を夜食に釣た魚やイカを 刺身にがざみを海水でゆでて食べた美味しいかった。でも 眠かった…夕方から朝までの 夜釣りがざみは バケツに 二杯 魚は 大型ボックスに三個に入りきれいないほどに…夜食を 食べている時に誰が 言ったか 覚えていないがこの船達は 昔 戦争中 日本を守り今は、荒波から日本を守っていると 言われた。だから 忘れてはいけない 場所子供心には、意味が解らなかった。今では 車で行けて…子供頃に見た三隻では 無く一隻だけ…それも セメントで 中も外側も残念です。あったはずの あと二隻は埋め立てて…岸壁の中に 残念淋しいく悲し気持ちになった。今も此処で魚釣りの人達や観光客も…夜景が綺麗ですょプチ情報高塔山の中腹の公園に…場所は判りにくいのですが古い石碑が 軍艦防波堤三艦慰霊碑が有ります。その中に 駆逐艦柳の双繋柱が有ります。
ここの防波堤は今後の北九州市の港湾計画で裏の貯木場とともに埋め立てられる予定になっています。そのとき軍艦も撤去される可能性が非常に高いです。どの艦も腐敗しており原型を留めてないとは思いますが、壊されて鉄屑屋に持っていかれるよりは、どこか別のところへ移設できないでしょうかね…。
釣りも出来て無料の駐車場もあり 但し人が多い
哀しいかな、北九州市若松の響灘工場地帯の人気釣りスポットにひっとりとその面影を遺す、言われないと解らない貴重な戦争遺構⚓
戦後の兵器の利用方法としては悪くないと思います。カミソリ等になるより形に残るのでこうやって見ることもできるし。一部ですが。いまなら汚染とか騒ぐ人たちも出るかもしれませんが、当時は戦後しばらく物資はなにもかもなにもない時代。
昨日雨と風の中魚釣りをして さゆり20匹釣つて餌がのこつたので 本日再度釣りにいつたがあいにく小潮のためか全く釣れませんでした残念でした 今はよく釣れる時期です
せっかくの戦争遺産なのに周辺案内がなくてわかりにくく残念。周辺には釣り人がたくさんいて平和な日本を感じることができて良かったです。
釣りのメッカらしいです。訪問時もえっ!って言うサイズのアジやワタリガニが釣れ?てました。タモで掬ってエサに出来るぐらい小魚のナブラが出来てました。ただトイレが無い…近くにコンビニも無いのが難点。
釣り人で賑わっています。風が強く秋冬は相当に寒いです。隣の工場の石?砂?の匂いだと思うのですが、ヒノキに動物のフンが混じったような独特な匂いが漂っていて私は長時間いられませんでした。
まだ行った事がなくて…行く機会があればクチコミ追加します。
旧日本軍の駆逐艦、柳、涼月、冬月が護岸として転用されています。涼月と冬月は軍艦大和の沖縄海上特攻に随伴し、大破しながらも帰還。戦後賠償の対象外となったことから三艦並べて沈められ、護岸として再利用されました。現在はコンクリートで埋め立てられていますが、海側にある柳の船首や基礎区画の形は見て取れます。陸側の冬月は建物の北九州市港湾航空局の敷地内にあり、現在は見られないようです。
軍艦を見に来る人より釣りをしに来る人が多いですね。軍艦は外枠の一部を残してコンクリに固められていますが、わずかに残った外枠もいつまで残っているだろうか。
こんな小さな船で戦っていたのかと思いぐらい、歴史を感じる!
まず、ここへ行くにはバイクや車などの足を確保してから行きましょう!歩きだと若松駅から一時間半はかかります。バスはあるのですが平日に数本!休日はありません。タクシーは当然ありますがお金かかりますよ。場所は響灘工業団地の端にある防波堤。響灘大橋を越えて一つ目の信号を右に曲がり果てしなく真っ直ぐ行きましょう。途中にファミリーマートがあるのでここで食事やトイレを済ませましょう。左手に日立製の風力発電機が大きく見えたらもうすぐ、正面左に高いフェンスが見えたら着いたようなもんです。ここには駆逐艦涼月・冬月・柳(初代)が今も国を守っています。涼月・冬月は大和特攻のときの生存艦。傷つきながら帰ってきました。柳はなんと第一次世界大戦の功績艦!第二特務艦隊の一艦でマルタまで行って来ました。私は前日に佐世保の海軍墓地に行って第二特務艦隊の慰霊碑でお線香たててから黙祷してから何?と思って現地で検索したからとても嬉しいです。防波堤としてはっきり分かるのは柳だけです。70年以上も潮風にさらされながらも船体は健在です!皆さんも是非とも勇姿を見に来てください!
戦艦大和の護衛艦や駆逐艦を防波堤に再利用した。この防波堤には3隻、使用した。その中の1隻のみ地上に露出している。
老兵は死なず・・ではないけど、軍艦堤防のそばで沢山の人達が釣りをしている。平和なんだなーって思う。軍艦堤防がこの人たちをも優しく見守ってるような気がします。
旧日本海軍の駆逐艦3隻を、防波堤代わりに沈めたのが軍艦防波堤。今はコンクリートで覆われてしまい、2隻は全く見えない状態で、わずかに1隻【桃型駆逐艦 柳】だけ輪郭がわかる。近くに行ってみるとわかるけど、小さい。佐世保海軍工廠製造。1917年竣工 1940年除籍。基準排水量はたったの755トン。この船が第一次世界大戦の時に地中海遠征したとは、正直信じられないくらいだ。輪郭がわからなくなった2隻は、【涼月】【冬月】で、戦艦大和の沖縄特攻に、直営艦として戦闘参加したのにもかかわらず、生還を果たした奇跡の船であった。釣り人が多い。
夜、あじこ釣りに初めて来ました。車も側まで乗り入れられ、とても便利でした。あじことさばこが、釣れました。
つり人でにぎわう若松市民の憩いの場
釣り人が沢山来ていました。
こんな小ささで地中海まで航海して2年間も駐留、帰国したなんて・・感じるものがあります。
イワシが湧いてたので、フィッシュイーターな魚を狙う人、エギングする人にオススメではないかと!とても楽しい釣り場でした。
土地の人達が軍艦・軍艦波止と呼んで親しむ軍艦防波堤 それは広大な響灘埋立地の一角にひっそりと存在する。 戦後間もない昭和23年 ここには3隻の軍艦が波荒い響灘の波消し目的のために沈められたという。共に沈められた僚艦『涼月・冬月』はすでに役目を終え、すぐ隣の埋立地の地下深く 永遠の眠りにつき、この駆逐艦『柳』だけがそのよすがを今にとどめる。分厚い鋼板の奥深く、赤く錆びてボロボロの船体が長く厳しい歴史を語る。
ワカメを少し採って、帰りました、
大東亜戦争で活躍した駆逐艦が埋まってます。何故か複雑、付近は釣り人ばかりです。
若松駅からタクシーで来訪。タクシーのナビでは出なかったので、運転手さんにGoogleマップのナビ等で案内した方が早いと思います。かつての駆逐艦も今は釣り場として賑わっているようですが、いかんせんゴミが……。ゴミ箱がないのも困りますが、仮にも史跡がこの有様なのは残念なことです。
軍艦防波堤での釣り場所、車で行くか、バイク等で行くのが良い、今は、サヨリ、コノシロ、サバ(まぐれ)、アジが釣れてる。楽しめる場所と思います。
あまり知られていないけど貴重な遺産周りは釣り人でいっぱいだけど、皆あまり知らない様子でした💦もっと大切にして欲しいです。看板あるから読んでね。
日本の第二次大戦後の貴重な痕跡になりあの恐ろし過去の話が戦争の悲惨さ残酷さを今に知らしめることができるのでこの刻印だけは、絶対に日本人としては残さなければならない‼︎
聖地巡礼ではないが、艦内神社よりも価値があるのではないか。残念ながら、柳しか見ることができないが、サイズ感が手に取るようにわかるため、必ず行くべき。夕方以降、真っ暗になる。工場夜景が綺麗。
今では日本国内で見られる唯一の旧海軍の駆逐艦。本当に貴重なのでいつまでも残っててほしいですね。
なかなか大物釣れんが、風はしのげる(笑)
釣り人が多く魚も釣れる。しかし、ゴミが多く車の入り口が狭い。
休日に行くと釣人が多く近寄りがたいです。せっかくの史跡なのだからもう少し力を入れて保存してほしい。
足場が良くファミリーで釣りを楽しめます。
以前はボロボロに錆びた船体が露出していたが、コンクリートで固められ保存されている。ぐるっと埋立地を回ってこないとたどり着けないので、遠い。若戸大橋が遠くに見える、北九州の果の風情がある。
駆逐艦柳の件で、多少誤りがあるので一言・・・・ここにあるのは桃型駆逐艦「松(初代)」で、昭和15年に駆逐艦から練習船になり、終戦まで無事に生き残りました。松型駆逐艦の松と間違えてる方々が、時おりいらっしゃるみたいなんで、お間違えなき様にお願いします。初代松は、燃料や武装用の弾薬及び乗員が乗った状態で900トン弱の駆逐艦で、大正5年落ち完成して第一次大戦では、イギリスの要請で地中海で船団護衛に何度もついて、たいしたUボートの損害もなく任務を完了したそうです。追伸今日(H30・7・15)に行ってきましたけども、涼月及び冬月は完全に埋没しており、柳(初代)の前部は地面から上50センチくらいまでの所に甲板があり、後部は地面と一緒の高さでした。意味不明なコンクリートの四角いブロックが、船体の真ん中辺りに5~6個置いてあり、ちょっと理解に苦しみます。一部分だけ船体の錆びくれたボロボロの鋼鈑がありますけど、決して持ち帰ったりしないようくれぐれもお願いします。最後に、釣り人が捨てたらしいペットボトルや仕掛けやゴミが散乱しており、ある意味墓標に近いから、捨てるのは止めてください。
公共交通機関がほぼないため、車か歩ける格好で。
釣りのゴミ捨て放題。釣り禁止にしたら良い。
シーバスが上がるらしい。のですが2月の小雪降るなかはサスガに厳しい。
今一です。軍艦の形だけで見に行く価値なし、釣り人のマナーが悪く撒き餌の匂いとゴミが散乱しています。
貴重な歴史遺産です❕
今判るのは一隻だけど、平和の礎になっていると少なくとも自分はそう思う。
貴重な歴史遺産ですね。
釣れる魚アオリイカ アジ キス クロ チヌサビキ ボラ イワシ アジフカセ チヌバリ メバルルアー スズキ 貯木場トウフ 上げ潮アジ サヨリ カワハギ コノシロ
いつでも、何時でも釣り人が居る
昔の駆逐艦が堤防になっていて感動します。
ちゃんと位置を照らしてから行くと船自体は見えないですが3隻の船首船尾を踏みしめられますよ
40cmオーバーのチヌが釣れます。
15~25cmのアジがけっこう釣れています。
それなりに楽しめるかな(笑)
日本のために戦ってくれた駆逐艦が 今なお防波堤として日本を守ってくれている😭舳先をさすりながら、涙が止まりませんでした🙏
若松に釣りにたまに行く場所です、今はコウイカがあがっています。
駆逐艦が防波堤になってます感慨深いです
今も活躍してる軍艦ですね。 釣り人も多いです👍
花火が見える隠れスポット
先人の思いが伝わる
駆逐艦柳と借景に皿倉山と若戸大橋が撮れます
史跡に触れます
釣りスポットの様です。
歴史のある防波堤。釣り人多い。
軍艦防波堤旧日本海軍駆逐艦「柳」「涼月」「冬月」。
釣りする時に来るけど悪くは無いと思う、爆釣れする時あれば無いときもある、只最近ヒアリの話も良く耳にするから行ってない。
軍艦三隻はびっくり
国を守るってなんだろう
足場が良いです。
ロマンがある
駆逐艦は軍艦って呼ばないだよね
柳です