黄檗宗寺院。山城宇治萬福寺の末寺。享保10(1725)年春日井郡阿原村の地蔵堂を東区新出来町二丁目北側に移す。享保13(1728)年藩主綱誠より寺地を給って造立を開始。享保15(1730)年津島天王の牛王山成就坊を引寺。享保16(1731)年萬福寺末となり寺号を大龍寺とする。安永6(1777)年五百羅漢奉安を発願し、城下の人々に勧下を始める。安永7(1778)年には江戸亀井戸村の五百羅漢を模した回遊式の羅漢堂の建立開始。安永9(1780)年に三百台體成就の開眼供養をした。本尊は建中寺の寄付による木造釈迦牟尼仏座像。文政元(1818)年より時の鐘始める。三大五百羅漢のうち東京大阪は維新後衰退するが当寺はよく保存、中に名工為隆の傑作十八羅漢がある、明治の末から当地に移転を開始し、大正7(1918)年に完了した。通称「らかんさん」として親しまれている。建築様式は一見城郭のような唐様南蛮風のデザインになっている。※HPより抜粋
ここの住職の対応がすごく悪かったです。ここにお墓を建てましたが、建てるときは駐車場にならないと言われていたのに駐車場にされていたり(幼稚園の行事の際に保護者の車を止める場所にされています)今後ここにお墓を持とうと考えていらっしゃる方はお勧めしません。
墓地があるのでお参りに行きました。いつも綺麗に清掃してあり、駐車場もあり、助かります。
立派で厳かなお寺様でした。
偶然立ち寄ることにしましたが、たいへん立派で清掃も行き届いており、ありがたくお参りをさせて頂きました。御朱印はないような感じでした。
知る人ぞ知る「五百羅漢」のお寺。現在は一般公開はしておらず、私も拝観したことはありません。しかし、文化財級のお堂らしいので、是非公開をしてほしいと思います。
隠れた名刹