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旧陸軍被服廠跡
日本, 〒130-0015 東京都墨田区横網2丁目3−25
コメント
メガ
件のクチコミ №1

関東大震災での被害について学べるところ。入館無料なのも良い。凌雲閣という、当時東京タワー級の娯楽施設だったタワーが震災で倒壊し取り壊されたことや、跡地に避難してきた人達の家財道具に火の粉が降り注ぎ3万8千人が亡くなられたことなど、写真や絵画によって遠く忍ばれる。

Ys
件のクチコミ №2

おそらく当時使っていたであろう壊れた機械が展示されていました。

さん
件のクチコミ №3

散歩がてらに。

シ冓
件のクチコミ №4

大正11年(1922)、東京市は陸軍被服廠の移転に伴い、跡地を買収し公園の造成を進めた。

MA
件のクチコミ №5

池が綺麗です。

Ka
件のクチコミ №6

明治のおわりごろの地図では、両国駅北の広大なエリアが陸軍被服本廠であった。関東大震災直前に空き地となり、ここに多くの避難民が押し寄せた。

sh
件のクチコミ №7

横網町公園にあります。

神山
件のクチコミ №8

明治時代に、陸軍の制服工場があったが、それを東京市に払い下げ、東京市は更地にしてたそうだ。その時に関東大震災が起こったそうで、大八車に家財道具を載せて避難した人が逃げ込んだのがこの場所。今ならば、なんで蔵前橋を渡らなかったんだ?と思うが、当時は、橋がなかったそうで、空き地に逃げ込んで一安心したのも束の間、周囲が火の海でガンガン燃えていて、火が燃えるには酸素が必要で、この空き地の空気が奪われて、一瞬、真空状態になり、真空状態になるとそこに空気が流れ込むため、周りの火が流れ込んできて、一気に炎に襲われてしまい、大八車が邪魔で逃げられず、多くの人が亡くなったそうです。9月1日に慰霊堂が開かれ、中には当時の美術学校の学生が描いたとされる震災直後の惨状の絵が飾られてるが、下手な写真よりも生々しさがある。

To
件のクチコミ №9

無料の記念館もさることながら、震災で焼け溶けた品々を保存して屋外に展示していてインパクトがありました。江戸東京博物館のついでに足を運んでみて良かったです。

神山
件のクチコミ №10

一時期、両国で住み込みで働いてたことがあり、その頃に墨田区や江東区は怖いと思いました。東は荒川、西は隅田川、そして南は東京湾。ここで大地震があったら橋がなければ逃げられないということを思い知らされるのがこの施設です。後で調べたら隅田川に江戸時代に架けられた橋は、千住大橋、両国橋、新大橋、永代橋、駒形橋の五つで、蔵前橋や厩橋、言問橋などの橋は関東大震災の後で架けられたというじゃないですか。今もこの辺りに住んでる人は、もしもの場合を考えておいた方がいいでしょうね。

仙念
件のクチコミ №11

ここは広島の原爆ドームと同じで未来平和の為に来るべき場所でしょう。3月10日に慰霊蔡があります。

Ju
件のクチコミ №12

悲しい歴史

hi
件のクチコミ №13

散歩によい。

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  • 住所:日本, 〒130-0015 東京都墨田区横網2丁目3−25
  • 地点:http://tokyoireikyoukai.or.jp
  • 電話:+81 3-3622-1208
カテゴリ
  • 史跡
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