明治時代に、陸軍の制服工場があったが、それを東京市に払い下げ、東京市は更地にしてたそうだ。その時に関東大震災が起こったそうで、大八車に家財道具を載せて避難した人が逃げ込んだのがこの場所。今ならば、なんで蔵前橋を渡らなかったんだ?と思うが、当時は、橋がなかったそうで、空き地に逃げ込んで一安心したのも束の間、周囲が火の海でガンガン燃えていて、火が燃えるには酸素が必要で、この空き地の空気が奪われて、一瞬、真空状態になり、真空状態になるとそこに空気が流れ込むため、周りの火が流れ込んできて、一気に炎に襲われてしまい、大八車が邪魔で逃げられず、多くの人が亡くなったそうです。9月1日に慰霊堂が開かれ、中には当時の美術学校の学生が描いたとされる震災直後の惨状の絵が飾られてるが、下手な写真よりも生々しさがある。
無料の記念館もさることながら、震災で焼け溶けた品々を保存して屋外に展示していてインパクトがありました。江戸東京博物館のついでに足を運んでみて良かったです。
一時期、両国で住み込みで働いてたことがあり、その頃に墨田区や江東区は怖いと思いました。東は荒川、西は隅田川、そして南は東京湾。ここで大地震があったら橋がなければ逃げられないということを思い知らされるのがこの施設です。後で調べたら隅田川に江戸時代に架けられた橋は、千住大橋、両国橋、新大橋、永代橋、駒形橋の五つで、蔵前橋や厩橋、言問橋などの橋は関東大震災の後で架けられたというじゃないですか。今もこの辺りに住んでる人は、もしもの場合を考えておいた方がいいでしょうね。
ここは広島の原爆ドームと同じで未来平和の為に来るべき場所でしょう。3月10日に慰霊蔡があります。
悲しい歴史
散歩によい。