想像ですが、江戸時代にはこの辺りは両国広小路近くで休む場所として合致したから泉岳寺まで遠いから休んだのでしょう。普通敵を倒しても追っ手が追いかけて来て、逆に倒される可能性が高いはずそれが追っ手が来ないし、ゆっくり休むなんて考えられません。死ぬ覚悟なら泉岳寺まで一目散に帰るはず四十七士事件はまだまだ分からない事だらけです。
2018年7月12日、御府内八十八霊場巡り。大徳院から薬研堀不動尊の道中にて立ち寄りました。この辺りにも、赤穂浪士ゆかり所がありました。そういえば、大徳院の近くに回向院があります。こちらも赤穂浪士に関係のあるお寺でもあります。自分も江戸三十三観音巡りにて参拝し、御朱印をいただきました。
赤穂浪士が浅野内匠頭の仇討ちを成し遂げた後、泉岳寺への引き上げ前に休息をした場所だそうです。しかしまあ吉良上野介邸から500メートルも離れてないじゃん。
討入り達成後、回向院に立て籠もれず、両国橋東詰めへ。