鐘淵紡績株式会社発祥の地 明治二十二年五月六日創立発祥由来記此の地は古くから沈鐘の伝説があり、江戸時代に入って将軍徳川吉宗公が之の引揚げを下命しましたが成功せず鐘は毎夕月の出と共に燦然として光を放ったといわれます。 周辺の風光明媚を賞でて徳川氏はここを将軍家専用の野菜畑とし御前栽と稱しました。 明治二十年近代工業の先覚としてこの地に東京綿商社が設立せられ、紡績機械二万九千錘を英国より輸入して東洋第一の紡績工場を建設明治二十二年 社名を鐘淵紡績株式会社と改稱しました。 爾来近代日本の進展と共に工場は拡大し、その技術は全国津々浦々に結実し製品はカネボウの名声と共に遠く欧米各国を席巻しました。 この間にあって産業立国の一翼を担った人々少なからず また過ぐる関東大震災、東京大空襲 当時その職に殉じて斃れた者は五十余柱に及びました。 いまこゝに時代の進運と共に、工場の移転を実施するに当って鐘紡稲荷神社並びに慰霊観音像を奉安し八十余年に亘ってうけたこの地域社会の御かげを感謝すると共に 老人と児童の憩いの場を設けて記念公園とし永く先人の偉業を偲ぶよすがとなることを切願するものであります。 昭和四十四年十月二十日鐘淵紡績株式会社 社中一同
センターが深い
カネボウ公園の隣にある地元民の野球場
野球をやる環境では…
汚い
広い野球場