勝負運や金運のパワースポットである鼠小僧のお墓です。写真を撮ろうとしていたら、(たぶん)近所の幼稚園の年長さんと思われる子どもたちが「わぁ〜っ!」とやってきて、先を争うようにお前立ちを削っていましたΣ(・∀・;)やはり・・・金がほしいのかな・・・(・。・;
普通にお墓ですよね。回向院内にありますが人が絶えなく、明るい雰囲気もある場所でした。見上げると高層マンションですが…。落ち着いた雰囲気ですが、暗くもなく程よい明るさもあり。周囲の喧騒を忘れられるスポットとなってます。ふらっとたまに立ち寄る場所です
偶然かもしれませんが借金まみれの自分でしたが金運が徐々に良くなり始めました。当然、努力も必要だと思いますが、心持ちも変わりいい感じです。日々、お金の心配ばかりしていた事が嘘のようです。(お金の悩みはほんとに辛い頭のなかで堂々巡り。)世間様がある程度落ち着いたらお礼にお伺いしたいと思います。墓石を削り持ち帰り常に机上に置いています。
埼玉育ちの私には両国と言えば娯楽時代劇の舞台として有名な場所で、よく歴史散歩して回りました。第二次大戦の空襲があった場所だから歴史的な建物なんか残ってませんでしたが、この回向院前には明治時代に建設された日本初の相撲常設館「両国国技館」が残ってました。屋根が銅板のドーム型で大鉄傘(だいてっさん)と呼ばれていたそうです。「ねずみ小僧次郎吉」と言えば娯楽時代劇では有名な庶民のヒーローで、あまりにもそちらで有名になってしまったために架空の人物だと思っている人も多いそうです。両国で働いていた頃にお客に尋ねたら地元の人も架空の人物だと思っている人多かったですね。大名屋敷に忍び込み盗んだお金を貧しい庶民にバラ撒いた義賊とされていますが、盗んだお金は博打で使ってしまったというのが本当のところらしいです。庶民のヒーローというのは戒名の「敎覚院速善居士」の速善を都合よく解釈したものみたいですね。お墓の前にもう1つ墓石があって、それを削ってお守りにするというのが昔から行われてますけど、それは「博打で勝ちますように」というお守りなんだそうです。ですが、大名屋敷に忍び込んでまでお金を盗んで博打に注ぎ込んでいたというのが本当ならば、あまり御利益は期待できませんね。
社務所にて専用の御守り袋を購入してから行くと良いですよ!お値段はたしか500円くらい。御朱印も受け付けてました。
金回りが良くなります様に!
[1795~1832]江戸後期の盗賊。名は次郎吉。動作が敏捷なのでこの名で呼ばれた。大名屋敷だけに忍び入ったといい、獄門に処せられた。
1797年寛政9年に生まれ、鳶職で武家屋敷にだけ忍びこんだとされる盗賊です。天保3年に市中引き回しの上、処刑されました。後に義賊として講談や歌舞伎で有名になりました。
お金に困らせなくなった
相撲観戦の合間にどうぞ
静か