葛飾北斎の生誕地と同じ場所にあります。
江川太郎左衛門代官所江戸役宅跡です。江川太郎左衛門英龍は、韮山から来てここで亡くなりました。江川太郎左衛門英龍は幕末の天才。砲台や大砲作りだけでなく、安政の津波で被災したプチャーチンのディアナ号の代船造りまで背負い込んだため過労で亡くなるが、長生きしていれば、日本の歴史は変わっていたかもしれない。勘定奉行就任直前の死であった。英龍が長生きしていれば、明治維新があんなことにならなかっただろうし、各地の城も破壊されず、廃仏毀釈もなかっただろう。うまく西洋文明を取り入れながら日本文化を大事にし活かしていただろう。他国侵略せず、敗戦もなかった。少くとも、長州にうまいことをやらせなかっただろうし、勝海舟は出番がないことは明らか。薩長は箱根を越えなかっただろう。
乾パンを日本で初めて考案し焼かせた事でも有名なのだそうです。