三河一向一揆で有名なお寺です。住職は、代が変わられ、若い方でした。時代も変わるにつれて、考え方や在り方など、今まで、非常識だったことが、常識になったり、又その逆もあり、色々移り変わっていく中で、古き良き伝統を守りつつ、新しき事など、今のニーズに沿った考え方の出来る、素晴らしい住職さんだと思いました。今の世の、お寺に携わる方々は、この方を、模範とすべきです。この様な方々が今の世の、お寺の未来を変えていくのでしょう。新しい若い世代が、新しい息を吹き込み、一般の方、特に今の若い世代が、興味を持つ様な、開けた新しいお寺の在り方を、作って頂きたいと思います。浄土真宗のお寺は、御朱印をお願いしても、約100%断られますが、他の真宗の住職みたいに、嫌な顔一つせずに書いて頂きました。本證寺住職様、ありがとうございます。浄土真宗も、以前は書いて頂いていた事を知りました。確かに、御朱印は写経を書いた者だけに、頂けるものだとは知ってますが、今の若者は、知りませんし、コレも今のニーズには合ってません。頭の硬い浄土真宗の方々は、他の浄土宗や日蓮宗や他の宗派を、見習うべきです。そういう小さい事から、新しいお寺の在り方が少しずつ変わっていくのだと、私は思います。この歴史あるお寺の文化を、守って頂きたいと思います。
鎌倉時代後期、慶円によって開かれたお寺だそうです。なんだかお城みたいというのは私の印象は間違ってなかったみたいです。城郭寺院っていうそうですね。内堀は一部蓮が茂っており、蓮の花が咲くころには大変美しいのではないかと思います。そして15世紀後半から浄土真宗の高田門徒から本願寺門徒に(いわゆる一向宗)に転じました。このころから、三河地方の本願寺門徒における組織化が進み「勝鬘寺」「上宮寺」とともに三河三か寺とされます。そして16世紀前半になると二重の堀と土塁が築かれ、城郭寺院とも呼ばれるようになりました。2015年に土塁、堀など境内地が境内地が国指定史跡となり、2重堀のうち、内堀はすべて現存しています。三河一向一揆へこの「本證寺」そして「勝鬘寺」と「上宮寺」は、三河における本願寺門徒の拠点でこの三河三ヶ寺、松平広忠(家康の父)の代に守護使不入の特権を与えられていました。しかし、守護使不入の特権の上宮寺に家康の家臣が糧米を強制的に徴収しようとしたため一揆に発展したと言われているんです。浄土真宗は阿弥陀如来を信仰さえすれば極楽浄土に行くことができるというものであったため、一向一揆は一気に広がり、農民や武士はおろか家康の家臣にも相当の信仰者がおりまた、そこに家康をよく思っていない領主なども加わり、三方ヶ原の戦いや神君伊賀越えと並び立つ家康三大の危機のひとつとして語り継がれる出来事でした。三河一向一揆の拠点はこの「本證寺」、そして「勝鬘寺」「上宮寺」及び土呂の「本宗寺」でした。約半年間にわたって戦ったといわれています。「お寺から頂いたリーフレットから抜粋」三河一向一揆1564年いったんは和議が結ばれますが、家康からの一方的に出された改宗命令を拒否したため、坊主衆は両国から追放となり、建物も破却されたと伝えられます。そして約20年の後、家康の伯母石川妙春尼の尽力もあって、一揆の罪は赦免されまた。江戸時代になると、三河三か寺は、本山-中本山-末寺という本来の制度の中で中本山の地位を与えられ、末寺の取りまとめ役を担いました。また、「本證寺」は領主や寺社奉公と配下の寺院とをつなぐ三河国の触頭としての役泡利を併せ持ち、幕末には200か寺余の末寺を有する大寺になりました。今日の「本證寺」は江戸時代を通じて順次整えられたものです。
『本證寺』2021/7/7の新聞に、蓮の花が見頃で極楽浄土の景色です🙏との記事が掲載されてました‼️そう記事を読み、仕事で近くに行く為、寄り道をしました👍白い蓮の花がメインで、ピンクの蓮の花は『本證寺』の入口左側のお堀に咲いていました👍後は白い蓮の花でした😍🤩早めに咲いた花は散ってましたが、大部分はこれからが見頃です🤩👍今週末(7/11)に、蓮の花のイベントも予定されてるようです😝駐車場は『本證寺』の門を入り、境内にかなり広いスペースが確保されてるようです👍3日後には、蕾が開花する蓮も多く成ると思います‼️由緒あるお寺のようで、塀・本堂・梵鐘と、歴史を感じる施設が多数有りました(*´∀`)
訪問時刻が正午過ぎだったため、蓮の花が閉じかかっていましたが、綺麗に咲いていました。時期的に遅めだったのでしょう。来年は、7月に訪問しようと思いました。御朱印を頂きたかったのですが、ご住職が不在とのことで残念。次回は、ご住職の確認をしていこうと思いました。
とても立派なお寺さんです。親戚がこちらの檀家ですので、私もたまにですが、一緒にお参りに伺います。各地のお寺を巡っているという方もいらっしゃいました。お堀もあり、季節によっては素敵な蓮を眺めることもできます。駐車場も広くて分かりやすいです。いつ来ても心が洗われるようです。
パット見が相当由緒ある寺と思いましたね。堀があると言うのは戦の為だと思った次第です。友人との話で 一向一揆 の為の寺じゃないか?確認をネットでしたら大正解でした。
浄土真宗のお寺さんはご朱印をいただけない所が多いのでがっかりなのですが、ここでは対応いただけます。建物は大型の本堂とか、櫓のような鼓楼といい、いかにも真宗のお寺らしい構えですが、印象的だったのははりめぐらされた濠がかなり状態よく残っていて、いっそう城郭のようです。三河一向一揆の拠点の一つだったというのも頷けます。濠には夏にはハスがさくようですが、その頃またきてみたいと思います。駐車場は山門をくぐり、境内に停めます。ご朱印はここに車をおいて、一旦山門を出て少し先の路地を入った庫裏でいただけます。というわけで、7月上旬改めてお伺いしました。ハスはあちこちに数輪咲いていましたが、いささか早すぎたようで、ご住職が今年は再来週くらいかなとおっしゃっておられました。ありがとうございました。写真を2枚追加させていただきます。
かつて三河一向一揆の拠点となった3つの寺の一つです。堀の構えなど往時の面影を一番残しているかもしれません。時期になるとハスの花がとてもキレイですよ。
7月25日現在、まだまだ今から良いです。栄養が良いのか花も葉も大きい
マルシェも良かったが蓮の花が大きいのがびっくり☺️
道路沿いから、門を車でくぐった場所が広い駐車場です。門は、セダン車でギリギリなので、車幅の大きい大型車は通れない可能性があります。記入時点で、お賽銭箱の横に、スタンプラリー(愛知岐阜三重)の冊子とハンコがあります。
我が家はこのお寺の檀家ですので長いお付き合いです。徳川家康の時代に出てくる歴史的にも価値あるお寺です。若住職が新しいあり方を模索していらっしゃるようでいろんなイベントもやっていらっしゃいます。
城郭の様なお寺でした。
御朱印を頂きたかったのですが、お留守でした蓮のはなもまだ少し早かったようです
今日朝から安城市野寺町にある本證寺の秋のきょうえんにちに行って来ましたいろんなお店が集まり食べたり買い物したり体験したりして楽しめました久しぶりにお祭り気分を楽しめましたまた今度ある時は行って写真をたくさん撮りたいと思います
堀の深さは4メートル。徳川家康を恐れていた証拠‼️
本證寺は安城市の南、東のハズレに位置します。鎌倉時代後期に開かれ、高田派から浄土真宗八代宗主、蓮如上人教化により本願寺派(一向宗)に転派しました。1563年に寺の不入権(租税免除、治外法権)侵害の発端から一向一揆が領主徳川家康との間で勃発しました。当時、本證寺、上宮寺、勝鬘寺を三河三か寺と呼ばれ本宗寺を加え一向一揆の中心の寺でした。三河三か寺は本末制度(本山-中本山−末寺)で中本山の地位、本證寺は領主、寺社奉行との間で末寺をまとめる触頭(ふれがしら)を務めました。幕末期には二百か寺を有する大寺となりました。境内は内堀、外堀と二重の堀と土塁に囲まれていました。堀の深さは3メートル、掘った土を積み上げた土塁との高低差は5,4メートル以上にもなります。変わった宝物(国指定重要文化財)が二つ有ります。聖徳太子絵伝、聖徳太子、7百回忌の鎌倉時代に制作されたとされた物。善光寺如来絵伝。その他、県、市、指定文化財の建造物ゃ仏像が色々有ります。境内の正面側からはインスタ映えするものです。
噂では聞いていましたが、昨年初めて訪問して大きな感動を覚えました。三河一向一揆の拠点として家康に対峙した場所だけに、城構えの建造物と蓮のコラボは幾重にも素敵なシーンを醸し出します。撮影場所として、是非お勧めします。堀に巡らせた蓮は、安城市が十年以上の歳月をかけ、蓮の再生に取り組み、見事に蘇っています。内緒にしたいのですが、此処でしか観られない新種の蓮数種は、圧巻。凄く綺麗ですよ。
今年も報恩講が無事勤まりました。
今は蓮の花が綺麗です駐車場も広くまた訪れたいです
本堂に入るととても癒されます。住職のお人柄が現れている気がします。
戦国時代、三河一向一揆の拠点となった経緯から、鼓楼、土累を備え水濠に囲まれた城郭寺院(城郭伽藍)。本證寺境内は国史跡の指定を受け、多くの文化財も有している。昔の地図では内堀と外堀も見えます。内堀に蓮の花が有りますが、訪れた時は咲き終わった花も有り、もう少し早く行けば良かったな、と思っています。内堀の一ヶ所は殆ど蓮は無く、オタマジャクシが沢山游いでいました。
鎌倉時代の創建で、戦国時代に三河一向一揆の拠点となった。本堂(県指定文化財)は、江戸時代初期に再建され、境内地(国指定文化財)は、堀を巡らした城郭伽藍と呼ばれる遺構が残り、全国的にも珍しい造りとなっている。国指定重要文化財の聖徳太子絵伝をはじめ数々の寺宝も保存されている。
格調高く 素晴らしいお寺でした。寺の周りは蓮がびっしり咲いていました。風情があって素晴らしい!
三河一向一揆の発祥の地です。普通に城のようでした。
今、ハスの花が咲いています。三河一向一揆の拠点で、歴史的にも興味深いところです。
広い敷地に蓮池がお濠のようにまわりを囲みとても清々しさを感じました。
史跡として珍しいお寺堀跡が蓮池になっています城的構造をしています土日はイベントをやっているかもです。
凄い歴史、家康と戦うデカイ、立派、お堀まである、流石、県文化財😨😵🤣🍵🌳
鎌倉時代に創建、戦国時代には一向一揆の拠点となった。堀に囲まれた城郭伽藍で国の史跡になっている。7月上旬は蓮の見頃。
鎌倉時代からの古いお寺三河一揆の舞台、徳川家康と戦いました。内堀、外堀があり、珍しい❗
三河一向一揆の拠点のひとつとして城塞化された寺院。のち小牧長久手の戦い前後に改修され、その堀跡などが現在も残ります。
一向一揆で徳川家康に一度潰された寺とあり寺の堀の有る珍しい❗️堀には赤、白の蓮が咲いていた
本證寺フェスティバル楽しかったです。
直虎紀行…10月15日 放送分近い🎵
参拝をしました。
蓮が見頃です
とてもよい