2021年1月10日午後1時30分ごろ、この一帯で白い着物を着た者を含む5〜6人の連中が馬鹿騒ぎしていて写真が撮れませんでした。建物自体が非常に素晴らしいのに残念です。滅多に遠くから来れない人のことも考えてもらいたいものです(あれが新成人ならお先真っ暗)。
昔々、この堂ににニ七日籠った思い出深い?慈眼堂、惚けた記憶を辿ってみたらもう70年も前のことだった。理由など忘れてしまったが、多分仲良しの坊主に嗾けられてそんなお籠り俺にも出来る、位の安易な気持ちでやったのだろう、根性で完遂したが15㎏減量して痩男みたいな顔で堂から出た記憶がある😆今は都会近くの一大観光地になって、例年ならゾロゾロゾロゾロ大発生したバッタの様に人間が集まって来る川越、天海さん何とかしておくれな🤲慈眼堂は相変わらず静かに人間どもを見つめ続けている、今日も一日心安らかに❗️
慈眼堂は、慈眼大師天海をまつる御堂です。天海僧正は、1643年10月2日寛永寺において入寂されました。1645年に徳川家光公の命によりこの御堂が建てられ、厨子に入った天海僧正の木像が安置されました。建物は、裄行3間、梁間3間の比較的小さな御堂で、屋根は中央から四方の隅へ流れる宝行造り、本瓦葺。小高い岡の上にあり、この丘は7世紀初頭の古墳を利用しています。
高倉健主演の『昭和残侠伝 人斬り唐獅子』(1969.11)の開始58分くらいのところで実子(長谷川明男)が拳銃で犬を撃ってその拳銃を秀次郎(高倉健)に向けるシーンと、『昭和残侠伝 吼えろ唐獅子』(1971.10)で開始25分くらいのところで文三(松方弘樹)とおみの(光川環世)が追手から逃げるシーンとが、この慈眼堂脇でのロケです。『吼えろ唐獅子』では慈眼堂の方から見下ろした鐘楼門も映っています(文三・おみのを追って来たヤクザが鐘楼門の方から現れる)。当時の境内は今よりも少し雑然としています。
厄除けに行ってきました。
喜多院の慈眼堂は正保2年(1645)の建立だそうです。慈眼大師(天海大僧正)をおまつりし、開山堂ともいうそうです。
慈眼大師をまつったお堂です。慈眼大師とは天海大僧正のことです。