由緒有る、お寺で市内に住んでいるのに〰️初めて、ゆっくりと見学させて頂きました‼️
時宗のお寺。義経の正室のお墓、供養塔があります。
河越城跡の隣りにある立派なお寺、流鏑馬が年1回行われます見学されたら歴史を感じる。
桜満開になるともっと良いですよ✨
河越館跡史跡公園に隣接。そもそも河越氏の館の敷地内にあった堂が発祥といわれる。史跡公園での流鏑馬行事の際には当院から行列が始まり、住職も馬上に姿を見せる(弓を射るわけではないが)。
昔はこの辺りを河肥の庄といったそうです。平安時代に秩父流平氏の者が移り住み荘園を築き、地名から河越氏を名乗ったそうです。平氏の始祖は桓武天皇の曾孫の高望王とされ、桓武天皇は皇位継承から外れた皇子や皇女に❬平❭の姓を与え、与えられた者は朝廷の役職に就いたそうですが、曾孫の高望王も上総守護という役職に就き今の千葉県に下向、平上総介高望と名乗ったそうですが、任期を終えても都に戻らずに市川辺りに土着し荘園を築いたそうだ。役職に就いた他の平氏は、ほとんどが一代限りだったそうだが、高望の子孫は高望に倣って荘園を築き、関東に勢力を広げていったらしい。高望の曾孫が秩父に移り住み秩父氏を名乗ったのが秩父流平氏の始まりだったそうで、その分家には河越氏のほかに畠山氏・豊島氏・江戸氏・渋谷氏などがいたらしい。この河越氏はほかの秩父流平氏同様に源頼朝の挙兵を助けたらしく鎌倉時代に勢力を伸ばしたらしいが、河越太郎重頼の娘が源義経に嫁いだことで鎌倉幕府では地位が下がったらしい。源義経は壇之浦の勝利で平清盛の一門(頼朝の平家打倒は清盛の一族打倒だった。何しろ頼朝に見方したのは関東の平氏の本家筋ばかりだったんです)を滅ぼしたものの、その後に勝手に朝廷から検非違使などの官位を授かったのが頼朝の怒りに触れ、鎌倉から追われることになったんですからね。その時に嫁と息子は離縁だけで済んだが父親の河越太郎重頼は隠居させられ、息子が継ぐのは許されたが、それ以上に地位が上がることはなかったらしい。
身内の供養で訪問しました、内部は歴史を感じられる立ち振る舞いです
とても立派なお堂あります。是非とも!もちろんトイレもあります!
坂東八平氏の1つで、秩父平氏の惣領家、河越氏の館跡に建つ、河越氏の持仏堂より発展した時宗寺院。うちの御先祖様にあたる河越太郎重頼公と重頼公の娘、京御前と娘婿にあたる源義経公の供養塔があります。
時宗の寺院読み方は「ジョウラクジ」
静かで落ちついたお寺です。
実家のお墓があるお寺です。目の前に白ゆり幼稚園と入間川があります。
もとは河越氏の持仏堂で浄興密寺という密教の寺院でしたが、嘉元3年(1304年)常楽寺に改名されたと云われています。御本尊は阿弥陀如来です。霞ケ関駅から徒歩で約17分。駐車場もあります。
十三回忌でした
時宗のお寺で、ご本尊は阿弥陀如来になります。
ごく普通のお寺です。
駐車場あります。