本堂の中を拝観することができました。
美保神社から青石畳通りをてくてくと歩いた先に仏谷寺はあります。それほど大きなお寺ではありませんが、大日堂におわす薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩、虚空蔵菩薩、聖観音菩薩の立像の計五躯が国の重要文化財に指定されています。日光菩薩と月光菩薩は薬師如来の左右でなく右側にならんで安置されています。いわゆる薬師三尊像ではなく、日光菩薩と月光菩薩は明らかに作風が異なっています。仏像はいずれも素朴ながらもたおやかな造形で見ごたえがあります。島根県のはしっこもはしっこの美保関ですからアクセスはろくなものではありませんが、ここまで来たなら見逃せない名刹であり、評価は★三つです。なお、大日堂に大日如来がいらっしゃらない理由はわかりません。
拝観料を払うことで、重要文化財を間近で拝むことができます。他の客もいなかったので、贅沢な時間を過ごすことができました。仏像の後ろに回って見ることもできます。お寺の方が大変丁寧に対応をしてくださいました。「吉三地蔵(吉三は八百屋お七の恋人)」「大日堂の跡」「三火薬師如来」の説明をして下さり、大変ありがたかったです。
承久3年(1221)、隠岐に配流となった後鳥羽上皇は、7月27日から8月5日まで、この仏谷寺に滞在されたと伝わる。また、元弘2年(1332)、後醍醐天皇は、3月19日から4月2日まで滞在された後、隠岐に渡られた。仏谷寺の境内に後鳥羽上皇の歌碑が建っており、2首の歌が刻まれている。後鳥羽上皇御製歌碑しるらめや浮き目を見をの浦千鳥泣く泣くしぼる袖のしづくをたらちねの消えやらで待つ露の身を風より先にいかでとはまし昭和47年(1972)5月建立の碑。後鳥羽上皇の歌碑は、境水道の対岸、境港市にもある。仏谷寺の前の民家の玄関脇に司馬遼太郎の紀行文を記したパネルが貼り付けてある。天空に、かすかに大山が見えた。安心して美保神社の境内にのぼった。・・・「街道をゆく 因幡・伯耆の道」の最後の部分であり、司馬遼太郎は伯耆大山の雄大な姿を海上からながめてみたいとおもった。この日の朝、米子を出発するときはガスで大山が見えなかった。
仏像は一見の価値ありです。