境内の説明看板によると、元は村中の神社だったが・・・。明治40年(1907)に地元にあった3社を八幡神社に合肥し、大鳥居八幡社としたが、同年に野志里神社に合肥されたそうです。その後、昭和9年(1934)に八幡神社として分祀したそうです。こういった苦難な歴史を経て来たお社です。みんなで大切にお守りしたいですね。境内にある説明看板のうなぎ、ナマズ何方が考案されたのでしょうか?ほのぼのとして本当に素晴らしいです。これを見ると何故かホッとします。お社を氏子さん地域の皆さん心を一つにして大切にお守りしていることは実に素晴らしい。しかし維持することは大変だと思いますがよろしくお願いいたします。
地元の神社です。