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伝村正屋敷跡
日本, 〒511-0821 三重県桑名市矢田
外観
伝村正屋敷跡

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ta
件のクチコミ №1

走井山勧学寺南に説明板がありましたのでご紹介します。-原文のまま-【伝・村正屋敷】跡鋳物産業が盛んな桑名において、その始まりとも言えるのが刀鍛冶の存在です。刀には、作者の名前や政策念が刻まれることが多く、その手がかりをはっきり確認することができます。その刀鍛冶の中で、全国的に有名なのが、「村正」でしょう。徳川家康が恐れた刀という伝説も生まれるほどの名を馳せ、代々桑名に住んでいました。住んでいた場所については、後に書かれた書物でしか分かりませんが、「千子村正トテ(中略)其旧宅ノ地矢田走井山観音堂ノ下道ノ左、今庄屋ノ家是其旧地也」(勢桑見聞略志)中巻、宝暦2年(1752)とあり、走井山にあったと書かれています。今、馬道駅の横に立っているマンションのあたりが村正の屋敷跡だったと伝わっています。走井山の名前の由来が『水が走る出るほどの井戸があった』ことから来ていると言われており、豊富な地下水や町屋川から取れる砂が作刀に適していたことなどから、村正がこの付近に住んでいたのかもしれません。村正の刀は市内の神社に奉納されたものがいくつか残っており、写真は桑名・中臣神社所蔵の刀で「勢州桑名郡」益田庄藤原朝臣村正作」「天文十二天五月日」という銘文が刻まれています。この他に、神館神社や多度大社に村正やその末裔によって作られた刀が残されています。(天文十二年=西暦1543年)と、なっています。素晴らしいですね!

Ta
件のクチコミ №2

全国的に有名な「村正」の屋敷跡。代々桑名に住んでいたとのことで、馬道駅の横に立っているマンションあたりが村正屋敷跡(「矢田走井山観音堂ノ下道ノ左」)だということで、桑名市教育委員会が作成した案内板が、走井山公園の東端の歩道(馬道駅西側から勧学寺に登る階段の途中)に立てられています。桑名市博物館では、時々、刀関連の企画展を行っています。勧学寺境内の由緒書によると、この丘陵を観音山またを走井山と言い、境内に湧いていた名水「走り井」から山号が作られたとのこと。この豊富な湧水のある環境が作刀にも適していたと考えられていますが、日本刀の製作現場は作業スペースが小さく、遺構はわからないことが多いそうです。

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  • 住所:日本, 〒511-0821 三重県桑名市矢田
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