昭和45年(1970)6月28日に開催された「一万人市民集会」にて、ある老人が「動物園と児童遊園が道路で二分されており、子どもたちの往来に危険なので橋か地下道を設置してほしい」と発言しました。飛鳥田一雄市長は実行を確約して直ちに着手。デザインは柳宗理に依頼し、翌年3月に完成しました。橋名は地元の小中学生から公募し「野毛のつり橋」と命名されました。
綺麗なつり橋です。
動物園まで公園から行けます!
橋のデザインはプロダクトデザイナーの柳宗理氏によるものです。