復興工事だらけの気仙沼湾の海岸沿いを通り、港から見える此方のお社を目指してテクテク歩きました。数日気仙沼に滞在し、帰る前に是非とも五十鈴神社に御詣りしたいと考え、スーツケースをゴロゴロ引き摺り向かったのですが、震災から8年だというのに歩道すら無い場所もチラホラ。砂利道を避け苦労したのち漸く此方の神社へ辿り着きました。平日の昼間だったので縦長の境内はひっそりしていて、授与所には人の気配すらありません。海側へ行くと突端に、此方に来るまで目指していた猪狩神社がありました。驚いたのは小さなその社に施されていた木彫です。これは見事!全体に施された龍などの様々な意匠は、極めて高度で完成されており暫し見蕩れてしまいました。急階段で海に降りると、震災の傷跡か手摺などが破壊されていました。数羽の鵜が呑気に休んでいて、その悲惨と平和が同居していて不思議な感じがしました。御札や御守りが欲しかったのですが、授与所を煩わすのも悪いと思い境内を出ました(平日昼間に来る人なんて普段全くいない感じです)。気仙沼は今後は復興が本当に楽しみなので、また来たら御守りを頂きに是非、此方に立ち寄るつもりです。
神名帳の陸奥國牡鹿郡の項に記載のある計仙麻神社の論社。気仙沼港内に鎮座します。境内入口にある社号石柱には「五十鈴神社」とあり、その側面には「大海津見神社・八雲神社」とあります。市街地には珍しく、原生林がわずかに残る境内は多様な植生がみられ、なかでも「モクゲンジ」の自生はこの境内が北限とのこと。境内には由緒略記があるので、それによると、御祭神は天照皇大神を五十鈴神社で祀り、素戔嗚尊を八雲神社で、大海津見大神を竜神社で祀る、となっています。竜神社は大海津見神社ということなのでしょう。式内社の計仙麻神社の論社はこのうちの竜神社。社伝によると、応永年間中(1394-1428)に丸森という場所に祀られ、その後、延宝年間中(1673-1681)にこの場所に遷座したという。延宝6年に宮城県北部沖で大地震があったので、その影響で遷座したのでしょうか。境内社に猪狩神社があります。この神社は気仙沼湾に海苔養殖と製塩を伝えた猪狩新兵衛を祀っているとのこと。また、石川啄木は、旧制盛岡中学生のときに、気仙沼に宿泊し、この地で初めて海を見、大島を眺め、その後三陸海岸を北上したそうです。
初めて行きました。海辺の原生林と神社は素晴らしかったです。
社伝に依ると応永年中(1394~1427、室町時代)村毎に一社の天照大神を祀れとのことで、丸森(現古町)に創祀された。慶安年中(1648~1652)に現在の神明崎に遷座された。主祭神:天照皇大神例祭日:旧9月11日
震災で消失してしまった😭恵比寿様が九年振りに発見されました‼️誠に❗嬉しい😌🌸💕限りです🙆
職場の係りの仕事でお世話になっています。毎年、お札ありがとうございます。
景色の良い場所に有ります❗️私は好きです😀
漁に出る船の出航を見送った家族が航海の安全を願い参拝に訪れる神社でした。周辺には洞窟が多数点在する。
東日本大震災の津波に流され、行方不明になっていた「おえびすさん」が、海底で見つかりました!もうすぐ、公開!お帰りなさい(о´∀`о)で…カーネルおじさんは、どこに?( ̄▽ ̄;)
破損が激しいですね。
港の高台にあり、周囲をぐるっと見渡せます。
静かです❗️
掃除が行き届いてない
気仙沼港を一望できます。