『太平記』ゆかりの地ということで、ようやく念願叶って参拝できました。(ただ、このご時世か内部の拝観は出来ずでしたが)それでも今を遡ること688年前の1333(元弘3)年5月9日、足利高氏や播磨赤松勢による京・六波羅攻撃により、光厳帝と花園・後伏見両院を奉じて鎌倉へ退却途中、ここ番場宿にて佐々木道誉など後醍醐方の軍勢に遮られ、六波羅北方探題の北条仲時以下432名が、当寺本堂前庭で自刃したという由緒を持つ古刹であり、本堂右手の一画には六波羅方の墓が並んでいました。以前の大河ドラマでは、この六波羅方の自決については割愛されていましたが、いまでもここの墓地は、近江路の露と消えてしまった鎌倉武士達の末裔の方々によって、大切に護持供養されており、少し安心しました。
ずーっと行きたかった普恩寺殿の蓮華寺!ご本人はお寺の向かいにある六波羅山にいらっしゃるそう。気軽に登れる山ではないので麓から拝みました。住職はいらっしゃいませんが、檀家さんか蓮華寺の立派な本堂を案内してくださいました。過去帳も見たかったなあ。
鎌倉幕府が滅亡の際、幕府の京都の拠点・六波羅探題の北条仲時以下432名が京都から退却し、この地にたどり着く。後醍醐天皇方に包囲され、ことごとく自刃する。境内には北条仲時一行の墓があります。なかなかの迫力で歴史の重みを感じます。
入館料300円を払いパンフレットを手にして進む。六波羅探題の北条仲時以下家臣400名余りが自刃した際に流れた血の川がありその奥に彼等の墳墓がありました。南北朝時代の趣きを遺した寺院。すぐそこに名神高速道路の騒音が気になり星一つ落としました。
檀家が少なくお寺の維持も大変ですとお聴きしました、ご住職も此所には居られず山形の住職が兼務されておられるそうです(瞼の母)の番場の忠太郎の地蔵尊 巨木(一向杉)など色々と見所はあると思います 創建は1400年前聖徳太子様が建立されたそうです。
境内に入る山門前に駐車場があります。境内への入場は自由ですが、本堂内への拝観は拝観料300円がかかります。御朱印をいただきたかったので、内部の拝観をさせていただき、内陣の案内と縁起歴史を説明していただきました。最後に、本堂裏側にある宝物庫を見学させてもらいました。
私は米原の地名に関係深いものです。
中興開基は、一向俊聖。後に一向宗を開く聖人。最後はここに立ち往生し入滅する。
歴史のある
少し怖い。