江戸時代の荒陵山光運寺の本堂改築時に墳丘の大部分が削られ、明治時代に現在の円丘が造られました。南側にある村居田古墳の残丘も宮内庁により息長陵付属地として管理されています。宮内庁書陵部の陵墓地形図集成によると面積は934.94㎡と記されています。
近江を支配した息長真手王(おきながまておう)の娘で、敏達天皇の皇后となった『息長広姫(おきながひろひめ)』の御陵ですね。1400年も昔のモノが残っているわけです。
車で行くには道が狭いと思う。バイクでも狭いと思った。個人的には好きです。
湖北の豪族息長氏が皇后を出すほどの勢力だったとは。息長氏の力の源泉はなんだったのか。
息長陵参道は狭いです。お寺の裏にあります。
道が狭いので注意、迷い注意 息長氏