東日本大震災の日。気仙沼市を襲った津波に向かって船を進めた、大島臨時連絡船「ひまわり」の船長、菅原進さん。波高20メートルにもなる津波を、怪我を負いながらも乗り越えた菅原船長は、その後無事気仙沼に戻り、気仙沼本土と大島を結ぶ島民の足として、8ヶ月もの間、無料で物資や人を運びました。大島に橋が架かり、連絡船の役目を終えたひまわりは、解体処分されるはずだったのですが、ひまわりと船長の物語を知った小学生の作文がきっかけで、菅原船長はひまわりを震災遺構の一つとして保存することにしました。現在、ひまわりは菅原船長の自宅敷地内で保存されています。通り沿いに「中央洗車場」があり、そこも菅原船長が経営していますので、そこに駐車しての見学が可能です。自宅に声掛けして、見学するようになります。料金は無料です。付記しますが震災以前、臨時連絡船として夜間などにひまわりは運航していました。その際に、学生の運賃を割り引いてくれたり、お腹をすかせた若者に飲み物やパンをごちそうしたり、島民の緊急時には本当に親身になって船を走らせた菅原船長です。今、クラウドファンディングで保存に掛かる費用を集めてもいますが、基本自前自作で保存を続けていこうとしている船長に、たくさんの人からの理解と援助があつまることを期待したいです。自分も、できることを、今。