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石町時の鐘十思公園
日本, 〒103-0001 東京都中央区日本橋小伝馬町5−19
外観
石町時の鐘十思公園

コメント
ma
件のクチコミ №1

普通の公園です

山田
件のクチコミ №2

ここは伝馬町であり、石町は神田の方にある。地図を見る。ここからおよそ800メートルは向こう側だ。どうやら区だか地元有志だかが向こうから、この十思小学校跡地に持ってきたのだろう。まあよく現存していたものだ。この手の鐘は第二次世界大戦時に回収され、弾丸に変えられているものだと思っていたけれども。

Se
件のクチコミ №3

公園の中にある鐘。初めて見た人は「なんで公園に鐘?」とびっくりします。とても貴重な鐘ですが、残念なことに少々見づらいです。もう少し見学する人の事を考えて鐘楼を作って欲しかったですね。因みに「石町」は「こくちょう」と読みます。この石町の時の鐘は本石町三丁目(現在の本町四丁目・室町四丁目の一部)に設置されたもので、江戸で最初の時の鐘と言われています。昔は鐘の音が聞こえる範囲の町から「鐘楼銭」を集めて維持・運営が図られていたそうです。石町の時の鐘は明治に廃止され、昭和五年に本石町から十思公園内に作られた鐘楼へ移設されたそうです。

散歩
件のクチコミ №4

皆さんは夕方の定刻になると、どことなく「夕焼け小焼け」のメロディーが聞こえてくる経験がありませんか。地域によっては、そのメロディーが異なるようですが。これは、ある時刻を知らせるものでしょうか。もう子供たちはお家に帰りなさいのサインなのでしょうか。実は、防災行政無線といって、緊急時に使用できるために、試験放送を毎日しているのだそうです。こうして、毎日定刻に一定の音を聞いていますと、まるでパブロフの条件反射のように、生活サイクルに一つの区切りや意識が生じてきますね。江戸時代、このような防災の意味ではありませんが、純粋に「時を知らせる」目的で、朝・昼・晩の三回を鐘で知らせていました。その事によって、長屋の門が定刻に開閉されたり、生活に規則正しいリズムの時間観念を持つようになったのです。その鐘は9ヶ所とも11ヵ所とも言われていますが、どちらにせよ、一番最初に撞かれるのは、日本橋石町(こくちょう)の鐘でした。セイコー社のブログによりますと、①本石町 ②上野寛永寺 ③市ヶ谷八幡 ④赤坂田町成瀬寺 ⑤芝増上寺 ⑥目白不動尊 ⑦浅草寺 ⑧本所横堀 ⑨四谷天龍寺で、この順番で前の鐘の音を聞いて順序よく鐘を鳴らしていたそうです。現在、「石町の時の鐘」は小伝馬町の十思公園に移されて、除夜の鐘に鳴り響かせていますが、鐘の来歴などは跡地に設けられている説明板でお分かりになれます。

池馬
件のクチコミ №5

元は日本橋石町にあったもので、この鐘が鳴ると刑が執行されたと云います。旋錠されていて上には登れません。

直哉
件のクチコミ №6

江戸時代に、庶民に時刻を伝えた時の鐘。明治に入ってから時計の普及とともに時の鐘は廃止。日本橋の石町(こくちょう)にあったものを昭和初期にこの場所十思公園に移したそうです。現在、鐘は大晦日だけ打たれます。

Ts
件のクチコミ №7

江戸時代の一日は、明け六つを知らせる鐘の音から始まった。最初に捨て鐘を三回鳴らして時を告げる合図をしたのち、時刻の数だけ鐘が撞かれた。時の鐘は寛永三年(1626)に現在の日本橋石町(こくちょう)に設けられたのを皮切りに、幕末までに浅草寺・寛永寺・目黒不動など10か所以上に設置された。人々に時刻を告げる方策として、江戸市中に「時の鐘」が設置された。江戸城で太鼓が鳴ると、石町の時の鐘がまず撞かれ、その音を聞いた近くの鐘楼が順次、鐘を撞いていった。

下町
件のクチコミ №8

江戸時代にはこちらに小伝馬町の牢獄があり、同時に時の鐘がありました。こちらには吉田松陰の終焉の地と言う石碑もありました。江戸時代のこの鐘はまず江戸城内の鐘がなり江戸しないの鐘がある場所の鐘が叩かれます。江戸幕府から時計のようなものが支給されていたみたいです。

乙名
件のクチコミ №9

日本橋石町(こくちょう)にあった時の鐘の跡。この鐘の聞こえる範囲の町からは、人件費・施設維持費などを徴収していた。

吉佐
件のクチコミ №10

十思公園内にありますが、元々は別の場所にありました。

塩澤
件のクチコミ №11

吉良邸討ち入り前に日本橋に潜伏していた赤穂義士大石内蔵助もこの鐘の音を聞いていました。

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  • 住所:日本, 〒103-0001 東京都中央区日本橋小伝馬町5−19
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