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郡代屋敷跡
日本, 〒103-0002 東京都中央区日本橋馬喰町2丁目7−2
外観
郡代屋敷跡

コメント
ho
件のクチコミ №1

よく『天領』と誤解される幕府直轄領『御領』と小さな知行地を持つ御家人旗本の代理として治めるのが代官、その代官管理地で大規模な者を郡代と呼んだ、江戸時代を通じて郡代が設置されたのは関東、美濃、西国、飛騨の四ヶ所身分としては下級旗本だが権限が大きく激務だったが一時期関東郡代だった伊奈家は幕府の融資実行機関として莫大な財を築いたがお家騒動を起こして改易された屋敷横の浅草橋を渡ると江戸市中から外れ地方支配の役宅としては絶好のロケーション

五十
件のクチコミ №2

説明板が建っており、下のように書かれていました。江戸時代に、主として関東の幕府直轄領の、年貢の徴収・治水・領民紛争の処理などを管理した関東群代 の役宅があった場所です。関東郡代は、天正十八年(1590)徳川家康 から代官頭に任命された伊奈忠次の二男忠治が、寛永十九年(1642)に関東諸代官の統括などを命じられたことにより事実上始まるとされます。元禄年間(1688~1704)には関東群代という名称が正式に成立し、代々伊奈氏が世襲しました。その役宅は、初め江戸城の常盤橋門 内にありましたが、明暦の大火(1657)による焼失後、この地に移り、馬喰町郡代屋敷 と称されました。寛政四年(1792)に伊奈忠尊が罪を得て失脚した後は、勘定奉行 が関東群代を兼ねることとなり、この地に移住しました。文化三年(1806)に関東群代制が廃止され、さらに屋敷が焼失した跡には、代官の拝領地となって、馬喰町御用屋敷 と改称されましたが、江戸の人々はこの地を長く群代屋敷 と呼んでいました。

三宅
件のクチコミ №3

もう少し史跡があるのかと思いましたが、案内板だけが建っていました。

宮内
件のクチコミ №4

特にそれらしい物はない。

東京
件のクチコミ №5

東日本橋交番に隣接する公園が、その。跡地。交番の隣なだけに、安全な感じがする。昼間はサラリーマンのちょっとした憩いの場になっている。禁煙。神田川を眺めるのもなかなか良かった。

安田
件のクチコミ №6

去年まで何年もねずみ駆除中と書かれて閉鎖されていた謎

m7
件のクチコミ №7

関東郡代の役宅跡。

情報
33 写真
7 コメント
3.2 評価
  • 住所:日本, 〒103-0002 東京都中央区日本橋馬喰町2丁目7−2
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