1500年前から観光地です。景行天皇も立ち寄りました。Carlos
門司行橋線から朽網西の住宅地へ入り、庚申谷(こうしんだに)踏切を越えるといきなり大きな岩の塊が見えてくる。一枚岩ではなく四、五個の大きな塊が連なっている。中央の岩の上に石碑が建てられ、表には「帝踏石」裏には昭和8年に碑が建立された事や景行(けいこう)天皇(日本武尊やまとたけるのみことの父)が土蜘蛛討伐の時に石占いをしたことが日本書紀に書かれてあり、それがこの石の名前の由来であるといった内容の事が刻まれている。ちなみに、「土蜘蛛」とはその当時天皇側に刃向かっていた民族の蔑称、本当の蜘蛛ではありません。なお、「危ないので、石の上に登らないように」との注意看板あり。
説明文がなかった❗
朽網にある不思議な岩群。近くの貴船神社には船石、荘八幡神社には鈴石があり、どれも摩訶不思議です。なんでも、景行天皇の土蜘蛛討伐にまつわる巨岩伝説が。なぜか子供たちが周辺で遊んでいました。
住宅街の中にあります。駐車場はありません。とりあえずでかい石があるのみです。
花崗岩の露頭地である。「たいとういわ」と読む。景行天皇(第12代 日本武尊の父)が貫山の土蜘蛛を討つために東方を遥拝し、その戦勝祈願をした場所との伝説がある。目の前の道は中津街道であった。道が変わってはいるけれども。
自然にあるのですかね?凄いです…
40年前から姿を変えず崩れもせず大きな岩です
ゴミがいっぱいあります
この石はいつか割れるんじゃない
何故この場所にこのような大きな石があるのかとても不思議な帝踏石(たいとうせき)。北九州市の解説によると門司行橋線から朽網西の住宅地へ入り、庚申谷(こうしんだに)踏切を越えるといきなり大きな岩の塊が見えてくる。一枚岩ではなく四、五個の大きな塊が連なっている。中央の岩の上に石碑が建てられ、表には「帝踏石」裏には昭和8年に碑が建立された事や景行(けいこう)天皇(日本武尊やまとたけるのみことの父)が土蜘蛛討伐の時に石占いをしたことが日本書紀に書かれてあり、それがこの石の名前の由来であるといった内容の事が刻まれている。ちなみに、「土蜘蛛」とはその当時天皇側に刃向かっていた民族の蔑称、本当の蜘蛛ではありません。糸島の神石といい北九州の帝踏石といい本当に不思議なことがあるものです。
景行天皇の伝承地になります。想像していたよりかなり大きな石です。
宅地の中に突然現れる巨大な石群です
夜だったためよく見えない
景行天皇ゆかりの巨石、小学生の遊び場。
昼間は子供達の遊び場です。