桶狭間がどんなものか知りたくて行って来た。公園自体はかなり小さい。ジオラマが配置されているので、当時の陣配置は歴史を知って居る方には分かりやすいとは思う。QRコードを読み込んでのアプリ上での説明もあるので、しっかり調べたい方は現地でQRコードを読み込んで下さい。記載する事も考えたが、行って観て楽しむ事が良いのかな?と思えたのでw人は少ないからコロナ禍のこんな時には、お弁当持参してなどピクニック的な感じで良いかも知れない。また夕方近かったのもあるのか、カラスが木に陣を展開。その下にクロネコさんが1匹。カラスがカーカーとクロネコに向かって騒いでいたのが、クロネコ(信長)カラス(義元)のような風景に感じたw
適度な広さで子供と楽しく遊べます。桶狭間の戦いについても園内にある看板で紹介されているので、学ぶ事ができます。
織田信長が少数の兵で大軍の今川義元を討ち取ったと伝えられているあまりにも有名な桶狭間です。小高い所にはお寺があり、そこから信長軍が奇襲して勝利を収めたとされています。鹿島臨海工業地帯に辞令で勤めていた頃に取得した運転免許で、初めて車で遠出した思い出の場所です。(最終的には鶴舞公園付近まで)
今は昔、ここで歴史を変える合戦があったことが今は感じるかな?
戦がどこで行われたかは分かりませんが、このような公園があると、歴史を思い起こすきっかけになると思います。
2019年3月、桶狭間古戦場観光案内所がオープンしました。桶狭間の戦いに関するパネル展示や解説、史跡ガイドなどもあります。甲冑の試着体験や桶狭間古戦場公園での記念撮影もできます。実際訪れてみると、当時の歴史が実感できて感慨深いです。歴史の勉強が苦手な人も好きになれる絶好のチャンスかもしれません。1560年におきた桶狭間の戦いの中心地であり、今川義元が服部小平太と毛利新介に首を討ちとられた最期の場所とされています。
桶狭間古戦場ですが、謎が多くて本当のところは、どうなっていたのか分かりませんが、一応、訪れてみたくて来てみました。現在、残念ながら、この周辺は現在は住宅街ですので、古戦場を偲ぶといった風情に浸れるところではないですね。謎が多い桶狭間の戦いですが、いずれにしても、織田信長公が今川義元公を討った事実は残りました。その後の織田信長公の躍進は御存じの通りですよね。でも、信長公って、最後の本能寺の変も謎が多くて、いったい、明智光秀公をそそのかしたのだろうか?という謎も気になります。それに、武田信玄公、上杉謙信公の都合の良い死に方もホント気になります。ホント、織田信長公、謎、多すぎで、そのスタートの地かと思うとちょっと、感慨深いものがあります。
思いの外小さい公園だった。でも桶狭間の再現はしっかりされていた。あくまで桶狭間の戦いに関連した場所の一つ。
永禄3年1560年6月12日 約461年前の大きな戦いですね。 今川義元 織田信長 徳川家康 勝敗により、日本の歴史が変わっていたはずですね。 近くの丸根砦 鷲津砦なども訪ねてみてください。激坂の上ですが(汗笑)
それほど大きな公園ではありませんが、江戸時代に建てられた石標や「義元公駒繋ぎの杜松の木」など桶狭間の合戦に関する遺物を色々見ることができます。「義元公駒繋ぎの杜松の木」は豊明の古戦場公園にもありますが、偶然でしょうか?また、かなり手は加えられていますが、「義元公首洗いの泉」もあります。更にこちらには今川義元と織田信長の銅像もあります。義元の方は床机に腰かけていていかにも大将らしい姿になっています。弓を手にしているのは「海道一の弓取り」と言われていたのを意識してでしょうか?一方、信長の方は立った姿になっているので、大将というよりも一兵卒のように見えます。手に槍を持っているのは『信長公記』の桶狭間の合戦の記述にある「信長鑓おつ取って大音声を上げて、すはかかれかかれと仰せられて…」を意識してでしょうか?いずれにせよ歴史に興味のない人には特に感じるところのない公園でしょうが、興味のある人にとっては非常に面白いスポットだと思います。
一見普通の公園ですが、銅像や桶狭間の戦いのことを記している案内板などあり、歴史好きの方は楽しめると思います!
歴史を学ぶのに色々工夫されてました。小さな公園で、一見歴史と関係無さそうな雰囲気。でも、すごい歴史を学べます。
住宅街の一角にあります。ボランティアの説明員さんが一人いて説明してくれました。
首洗いの泉が当時を思い起こさせる位でしたが説明資料から良く理解しました。
桶狭間古戦場公園は1560年 織田信長率いる2000千の兵で 今川義元率いる今川軍を倒した有名な桶狭間の戦いの事が分かるジオラマ公園になっていて楽しいですよ😃
桶狭間の合戦の舞台とされる場所に整備された史跡公園。首実検が行われた長福寺に近く、今川義元が討ち取られた場所ともいわれる。公園内は桶狭間の合戦の舞台となった場所を模して整備されており、清洲城から織田信長が進軍したルート、沓掛城から今川義元と松平元康(徳川家康)が進軍したルートが表現されています。桶狭間の戦い関係のイベントが毎年開かれるほか、普段も桶狭間古戦場保存会のみなさんが清掃やパンフレットの補充管理をしていて、観光客がいると説明してもらえます。
意外とこじんまりした公園
まさにここで桶狭間の戦いが行われた!それにしては住宅地の普通の公園って感じもするが、しっかり今川義元と織田信長の銅像もあり、公園の半分が戦のジオラマになっていたりと工夫がされている。歴史好きには良いところですよ🎵でも、桶狭間ってもっと深い谷かと思ってたけど、結構平坦なんですね。
駐車場はありません。地域住民向けの公園風ですが、桶狭間の戦いの内容を知る事が出来る他、今川義元の碑があったりと、合戦場の臨場感は周辺の地形からも味わえる場所だと思います。
うむ。普通。二人の像はリアルで良かった。
良かったです。
子供の頃から行きたかった桶狭間古戦場跡。ようやく来ることができました。しかし、豊明市の古戦場跡と名古屋市側のこちらと二箇所あるとは知りませんでした。
信長最大の逆転劇。ここから天下布武の道が始まった。
織田信長と今川義元の合戦場にある公園として有名です。一見こじんまりとしていますが公園展示物は先端技術が使われており、スマホで予め名古屋歴史探検のアプリをダウンロードしておくのが良いと思います。ARが普及するのはまだ先の時代になるでしょうが、前もって気軽に体験できるいい機会になったと思います。
戦国時代の歴史的転換点になった有名な桶狭間の戦いの地。ですが、現在はこの場所は、住宅街の中にあります。昔、一度だけ訪ねた時に、ここが本当に桶狭間の戦いの地?と驚いた記憶があります。この場所の北側に大高緑地公園があり、その公園の方が起伏に富んだ地形になっているので、戦国時代の戦いの場所にふさわしい気がします。ただし、他の場所からここを攻めるのは、かなり大変ではないでしょうか?緑地公園は、小高い山になっており、周囲よりも高見から見れるので、ここに砦を築くと、いくら今川勢が大人数で攻撃しても、坂道を昇る必要があるので、重たい甲冑を着た武士達は、息が上がって戦闘力を削がれたのではないでしょうか?あっ?古戦場の説明が全く無かったですね!どうもすみません。
小さい子のお散歩にちょうどいいです。
体力なければ、この公園のジオラマだけでも桶狭間気分。体力あるなら、ここをゴールに熱田から歩こう。桶狭間の合戦にロマンを感じるなら行く価値あり。
住宅街にある普通の公園だけど、この周辺で460年以上前に激戦があったんだなぁと歴史の重みを感じて散策出来る。
普通の公園でした。織田信成と今川義元の銅像があり、歴史の事柄が書いてある看板がある以外は、よくある町の公園で小さな子ども連れの方が沢山来て、遊んでおられました。
初めて見ましたが、良く整理されている
グループで散策しました。ちょうどボランティアの案内人がいらして説明してくださいました。大河ドラマで何回も登場する場所がこんな近くにありました。
有松えきがら歩いて20分ぐらいの距離です
歴史が学べますよカーマも近いですから、買い物もできますよ
付近にコインパーキングも無いのでホームセンター駐車場に停めて買い物してから現場に向かいました。ボランティアガイドさんの説明いただきましたが只々長いお話だけで質問しても的を得ない回答でしたのでお勧め出来ません。現場の面影は少し傾斜のついた住宅地ぐらいですが歴史が大きく動いた現場に立つと格別の時間が過ごせます。当時の面影のまま歴史公園にしていれば莫大な経済効果の地域観光になっていたことでしょうが・・・近くの大高緑地を住宅地でここを大規模歴史公園にして欲しかった。
織田信長ばかりが英雄と違うよ!今川義元だってその当時地元では大事な殿様だったはず!歴史は分からんね。冥福をお祈り致します。
公園がジオラマにしてあって イメージしやすく、そこが子供達の遊び場にもなっていて、とても良かったと思いました。
綺麗に整備されていますが、とても小さいです。
桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)は、日本の戦国時代の永禄3年5月19日(1560年6月12日)に尾張国桶狭間で行われた合戦。尾張をほぼ統一したばかりの織田信長と、駿河・遠江・三河を手中に収める今川義元による戦い。数では今川軍が圧倒的に勝っていたが、信長は僅かな兵を率いて強襲を仕掛けることに成功し、義元をはじめ多くの重臣を戦死させた。この勝利は織田信長の躍進のきっかけとなり、徳川家康の自立、甲相駿三国同盟の崩壊など数多くの影響を及ぼす事になる。戦国時代の大きな分岐点であった。
ガイドの方が、おもしろいです。
ARを楽しむことができます。
桶狭間の戦いに詳しくなれます
その時歴史が動いた‼️ここから本当の乱世から戦いのない世界へと動き出したのでしょう❗情報合戦と捨て石。雨🌧️の味方もあったのでしょうね?相手に隙が出来るよう本当はどこまで出来たのでしょうか。せっさいぜんじたいげんすうふうが亡くなられたのも不運?バラバラだった尾張も事実ですが反勢力に纏まりもなかったのでしょう❔❓その意味では三方原辺りも複雑だったかもしれません。朝倉たかかげと同じ纏める力があれば朝倉も変わっていた?(朝倉たかかげは二人存在しました。しかも同じ漢字です。二人とも立派な武将です。)浅井家は結局朝倉の属国にしかありませんでした‼️小国は大国に頼るしかなかったですか❔❓浅井長政の力量が全く分かりません。竹中半兵衛重治は好きです。黒田官兵衛よしたかも凄いです。
東京が江戸にならなかったかも❓の戦い。
今川義元本陣跡。
地味、史料館でもあればもっと観光客来るはず。
今川義元公が討ち取られた場所でお墓もある。公園全体を使って桶狭間の合戦を伝えようとしててやる気を感じさせられたがもっと面白く出来ると思う。
触ると熱出る呪いの木があるのは、ここで合ってるのでしょうか?⬅︎間違えました。江戸時代のここの話でした。今は関係無いです。今川義元公の霊魂は、ここでの敗北が余程悔しかったらしく、明治中頃までここら辺色々な怪異起こりまくって、近く通る人々を呪い殺しまくったらしい。明治中頃、地元の大工が今川義元の墓の近くで白蛇を目撃した事を他人に話したらその日から三日三晩高熱続いて死んで、呪い殺されて、恐ろしくなった地元の人々が高徳院住職に依頼して、最終的に高徳院境内に祀られたらしい。アピールし続けるってのは大事なことだよね。それにしても 無念度数 高いね。今川義元公の供養塔ある龍神様(!?)として祀られている高徳院と併せて訪れるのも良いのではないでしょうか。呪い怖いけど。今川義元って、この合戦の行軍中に兄者の霊に通せんぼ されたらしい。負けるからヤメろって。
住宅街の中にひっそりとあります。歴史が好きな方は是非とも訪れて見てください。
町中で以外でした。一度はおとずれると良いと思います。
銅像が敵味方両方並んでいるのがよい裏手の桶狭間山は自動車で登る限界に近く急坂でびっくり
けっこう手が加えられており、地図での説明と、ジオラマAR体験ができるのは驚いた!公園の土地を縮小した桶狭間周辺の土地、砦に例えて造られてある。
歴史の事が勉強になりました
きれいな公園です。
他にみるものが無いのでこれだけのために来るのは・・・・。
地元ガイドさんの素晴らしい説明で、見て回りました。織田信長から見た桶狭間でなく、今川義元から見た桶狭間を知ることができました。義元は、よい領主ですね。また、情報戦を制して勝利した信長は、現代に通ずる偉大なリーダーでした。
二ヵ所あるの?
歴史探訪に出掛け
織田信長が今川義元を打ち破った。
期待する程の物でもなかった。住宅街の中にあるので見過ごすかもね?ふつうに公園だし。遠慮する事なく大々的に宣伝しては!平日の昼間は誰もいないよ。近所のお婆ちゃんが言っていたけど深夜になるとガシャガシャという音がし人が歩いているみたいだよ毎日ではないみたいだけど落ち武者かなぁ?
織田信長、今川義元の像がカッコいいです。ARで映像が見れますがタブレットでないと小さくて見れません。
とても判りやすい案内板(説明)が印象的でした
先人達が残した歴史、教訓を未来の子供達に伝え残していただきたい。そうしないと、自分の事しか考えない、ほら映像見たでしょう、あのあおり運転。あんな人達がいっぱい出て来ますよ〜。くわばらくわばら。
感動しました
公園として雰囲気がいい。ジョギングコースにもなっている。
桶狭間古戦場にある公園。
信長攻路 桶狭間の戦い 人生大逆転街道 桶狭間の戦いへと信長が駆けた道 有力説3ルートを開運街道と命名 桶狭間へのルートについては諸説ありますが、主に美濃、鎌倉、稲生の3街道の説が有力。[信長攻路]ては、3つのルートを信長の武運にあやかることができる開運街道とし、それぞれ[木爪道]美濃街道べース、[揚羽道]鎌倉街道べ-ス、[永楽道]稲生街道べースと名付け、新たな観光ルートとして整備されました。私はぶらり一人歴史探訪を清洲城、萱津神社、榎白山神社、名古屋城、西日置町の塩竈神社、日置神社、若宮神社、万松寺、東別院、古渡城跡、紀左衛門神社、桶狭間公園、長福寺へ、ここで今川義元は首検分されました。このルートで自転車、マイカー、バス、地下鉄、バスを乗り継ぎ三日かかりました。祢宜さんや氏子の古老の方にお話しを聞く事ができ大変勉強に成りました。
ジオラマ(というのか)の出来がよく、近隣の地理併せてよくわかる。
駐車場が無いのが難点。ここが合戦場だった証明は不明確です。
公園内がミニ戦い地図となっていて、軍の配置がわかりやすい。
歴史の授業で必ず聞く、桶狭間の戦い近くを通ったことは何度もあったのですが、この公園は初めて訪問しました住宅街の中にある、普通の公園、駐車場すらありませんただ公園の中には、岩や木々にジオラマ、銅像などがあり、いろいろと整備されているしかしなんとも歴史感に乏しく、最近慌てて整備した感たっぷりで、昔の戦いに思いを馳せるような、関ヶ原のような風情は全く無いちょっとがっかりスポット近くの、旧東海道の有松の街並みはとてもいい感じでオススメです
近くに桶狭間古戦場伝説地も有ります。
桶狭間の戦いの案内版や合戦場を模したジオラマ、織田信長公と今川義元公の像があり感慨深く見学できました。