加藤清正銅像があり、出世地という事で訪問参拝しました。 境内も綺麗にされています。名古屋城内、能楽堂前共に立派な銅像ですね。名古屋駅前にも三英傑が特殊な映像で写し出されるようですが、銅像とか、岐阜駅のような、金の信長もありだと思います。
通稱「清正公さま」以下、妙行寺御案内より。【沿革】永仁2年(1294)日像菩薩により真言宗より日蓮宗に改宗。天文年間(1535)中興日勢上人、正悦山妙行寺と改稱再建。慶長15年(1610)清正公名古屋城築城の砌(みぎり)、普請(ふしん)小屋を貰いうけて御先祖・御両親の菩提を弔う為に、掌宇を此処(ここ)生誕の地に建立。清正公堂安置の御尊像は肥後本妙寺第三世日遥(にちよう)上人の作なり。【境内には】文化7年(1810)尾張儒臣秦鼎選、丹羽盤恒子書加藤肥後候旧里碑、清正公銅像、宝物殿(ほうもつでん)、鐘楼(しょうろう)、法界萬霊供養塔、浄行菩薩を祀る先心殿等がある。【年中行事】節分会 2月当日、清正公御正当大祭 7月23日・24日、御会式 11月、毎月例祭 24日上記の「日遥上人」について調べると、加藤清正公の人物像、唐詩(杜牧の「山行」)、日本史(壬乱捕虜)との関係が興味深い。本妙寺は熊本で中心となる寺。
ココの狛犬へ可愛いぞ😄 両方とも入ってるのは久しぶりで遊んだ💡堂にも誰か居る。
沢山の風鈴があり涼しげでした♪
加藤清正生誕の地凄く神聖で落ち着く場所です。お勧めです^_^駐車場はお寺の道を挟んだ目の前にあります。
日蓮宗の信者で武将の加藤清正の生誕地と伝えられています。もとは「本行寺」と号する真言宗寺院で、永仁2年(1294)に日蓮宗に改宗され、その後、火災により焼失し、時を経て「妙行寺」として再建されたそうです
清正公を顕彰 人徳高く戦時供出の像もはやく
慶長十五年加藤清正公、家康公の命に従い諸大名と共に名古屋城築城の折、その余材と普請小屋を貰いうけて、妙行寺を清正公誕生の地に移し、ご先祖ご両親の菩提をとむらう為に再建す。慶長十六年六月二十四日清正公御逝去の後、日遙上人は清正公の御尊像二体を彫刻し、その一体を本妙寺に安置し、他の一体を清正公誕生の地妙行寺に寄贈さる。清正公堂に安置せる御尊像之なり。因に山門を入ると右に鐘楼堂、正面には清正公の銅像が魏然として聳えている。昭和三十五年四月、清正公三百五十遠忌の際、清正公奉賛会により建立されたものである。
2017/03訪問加藤清正ゆかりの地です。加藤清正の銅像もあります。周辺一帯は豊臣秀吉のゆかりの地でもあります。本堂の屋根にある鬼瓦的な部分が蓮の花?桃の実?のような形をしていて不思議でした。
威厳ある甲冑姿の加藤清正公像が迎えてくれます中村は加藤清正、豊臣秀吉、天下人出生地 感慨深いですね、
加藤清正が名古屋城築城の余材で再建した寺。境内には「清正公誕生之地碑」があります。
豊臣秀吉公の常泉寺、加藤清正公の妙行寺どちらにも詣ります。
迷っていたらお声をかけていただき、ご朱印いただきました。こちらも親切でした。
加藤清正生誕の地の寺院です。住職が居る時には、御朱印も頂く事が出来ます
もとは真言宗であったが、日蓮宗に改宗した古刹。名古屋城天守普請にあたった加藤清正が、天守完成後普請小屋を移築し本堂とした。熊本・本妙寺から贈られた日遙上人作の清正尊像が、清正公堂に祀られている。清正の銅像や生誕地碑もある。
ご朱印いただけなかった
せっかく行ったのに、ご住職が不在との事で御朱印は頂けませんでした。
静かな寺院。
加藤清正生誕地で、銅像に会えます。
御首題頂きました♪
日蓮宗、加藤清正公誕生地