毎月18日本堂内で御本尊様を間近で拝める有り難さ💝本堂内には貴重な寺宝も拝見出来て感謝感激の功徳です!
令和3年9月18日 参拝コロナ禍においても、直書きにて御朱印を拝受いたしました女性が応対くださいましたが「見本の御朱印と違う感じになりますが大丈夫ですか?」と聞いてくださいましたたぶん 過去に文句を言う人がいたのでしょうね・・・こちらが大変恐縮するくらいステキな御朱印をいただきました近隣の大須観音や万松寺が有名ですが、七寺も必ずお参りしたい場所になりましたまた手を合わしに伺います
東海36不動尊9番札所大須商店街から少し外れた街中にあります
※私の評価は途中からではありますが、私如きが神社仏閣を評価なんてとんでも無いと思い基本普通の★3にさせていただいています。小さいお寺さんでしたが、短い時間しか取れなく行ける場所を絞らないといけない中、そして私はお寺さんは有名な観光的な所か行きたいと思った所しか行かないので、今回も何度も行きたいリストからハズしてはまた入れてを繰り返し、何でだろう?どうして行きたいんだろう?と自分で思いながら向いました。で、どうしても行きたかった理由が御朱印を戴く時に分かりました。勢至菩薩様でした。私は午年なので勢至菩薩様が護り本尊様になるのでたぶん勢至菩薩様にあいたかったのかな?と思っています。だいたい阿弥陀様がメインで横に居られる勢至菩薩様を重にされてるお寺さんは少ないので御朱印をいただきながらニタニタしてしまいました。その事をお話したらもしかしたら見せていただく事が出来るかな?とは思ったのですが、どうにも内向的な私は口にできず帰って来てしまいました。まあ、阿弥陀様が燃えてしまわれたのでのこった勢至菩薩様が重要文化財になっているそうですが、こちらに勢至菩薩様が重要文化財として居られる事がわかったので、名古屋に行ける際にはまた寄らせていただこうと思っています。御朱印をいただきましたが、優しい感じの美しい文字で好きな感じの御朱印でした。
名古屋二十一大師の二番札所である七寺は、正しくは長福寺と呼ばれ、名古屋大空襲以前は大須観音を凌ぐほどの寺勢を誇っていたそうです。今は小さな街のお寺の様相ですが、かろうじて戦禍を免れた観音・勢至の両菩薩像はもちろん、戦禍にさらされ満身創痍のお姿になりながらもなお境内を見守る大日如来像など、参拝をおすすめできるお寺です。
大須観音の南側、西別院の北側にあるこじんまりしたお寺。真言宗智山派に属する。戦前は桃山時代に建てられた本堂や三重塔などが所狭しと並び、尾張徳川家の祈願所となっていたこともあって大須観音より栄えていたが、空襲でそのほとんどを焼失した。境内の入り口に古い小さな経蔵が建っているが、これが唯一焼け残った建物である。本尊の5体の仏像のうち、阿弥陀如来と二天王の計3体が焼けてしまったが、観音菩薩と勢至菩薩は難を逃れ、現在この2体が本尊となっている。(戦前は国宝だった。現在は文化財保護法の改正により重要文化財)焼けずに5体揃っていたら、今でも国宝に指定されていたであろう優れた平安時代の仏像である。他には、戦災を免れた一切経と、それを納めていた唐櫃が重要文化財に指定されている。また境内には、大きな青銅製の大日如来像がある。あちこち修理され、つぎはぎが目立ち痛々しいが、戦災を受けながらも人々の信仰心に支えられてきた様子がうかがえる。
観音菩薩・勢至菩薩像や七寺一切経などの文化財が多く残っているわりには小さなお寺です。子供の頃、そびえ立つように見えた境内にある如来像が木陰の中にあり、思っていたより小さく思えました。七寺は真言宗智山派で、正式名称を稲園山 正覚院 長福寺と言います。寺伝によれば、天平7年(738年)、愛知県あま市に行基が開山。延暦6年(787年)紀是広が7歳で亡くなった子のために、七堂伽藍を建立したことから、七寺と称しました。徳川家康の清洲越しの命により、現地に移転されました。尾張藩の祈願所となった。
運良くご住職さまがおられて拝観することができ貴重なお話を聞かせて頂いた。重要文化財の観音菩薩、勢至菩薩は素晴らしいの一言。間近で拝見できて感動した。名古屋の宝はここにある。
今年も一の酉の日に熊手を戴きに行くことができました。習いに従い去年より高額なものにしました。
お寺の住職さんはじめみなさん、暖かい方ばかりで気持ちよくお詣りできました
丁寧にご朱印を書いていただきました?
素敵な御朱印を頂きました。
凄く静かな小さなお寺でした
御朱印2種類頂きました。東海三十六不動尊霊場の御朱印をいただくと御影札を頂けます。
落ち着いた雰囲気が好きです。
大須にありますがひっそり佇む寺院でゆっくりお参りできます。御朱印も頂きました。
近代の建物。御朱印二種類あり。
住職が親切です。