坂道が好きなので、自転車で坂を堪能しました。歴史のロマンにも触れて大満足でした。ちなみに、坂の上は、坂上さんばかりでもなかったです。
急坂すぎて、こわい💦バイクで行きましたが💦
旧東海道の、意外と難所な急な坂。江戸からくると、そりゃ松尾芭蕉もこけそうになるほどの坂道。でも周りは木々に囲まれて、雰囲気はよろしい。西からくると、さほど急ではないけれど、下るときに注意。車もたまに通過しますので、その辺りも要注意。
四日市市采女町の旧東海道に〔杖衝坂〕と呼ばれる急坂がある。友人から仕事の途中に〔芭蕉句碑〕を見たと写真を送ってきた。この〔杖衝坂〕を通過するのに苦労した歴史上の有名人が二人いる。1)日本武尊(ヤマトタケル) - 伊吹山の神との闘いで疲れ果て、ここにたどり着いたときには杖を衝かなくては歩けないほどだった。彼は、ここで采女に介抱されたが、このことから〔采女町〕、〔杖衝坂〕の名前ができた。日本武尊は能褒野で亡くなった(庄野宿に〔白鳥塚古墳〕がある)2)松尾芭蕉 - 貞享4年(1687)、故郷伊賀に戻る途中、ここで馬から落ちた。そこで詠まれた句が、歩行(かち)ならば杖衝坂を落馬かな〔杖衝坂の碑〕のそばに句碑が立っている。この句は〔季語〕のない〔無季句〕。碑は宝暦6年(1756)建立。句碑の由来については、そばに説明碑が建っている(昭和51年(1976)建立)。(追記:令和元年5月、自分でも訪問)(東海道の芭蕉句碑 ⇒ 石薬師町 石薬師寺)
ヤマトタケルノミコト松尾芭蕉が歩いた路です♯(^ー^)古代路三重野色は道かな。白鳥塚にいって見たら某かるかも、
すごい急な坂だけどバイクで行くと意外とあっさり抜けられて拍子抜け思ってたより坂も短いし歩きなら相当大変だけど車やバイクがある現代人なら問題にならないねヤマトタケルもびっくり
二人の有名人の伝説の残る急坂の小道です。一人は日本最古の歴史書古事記に登場するヤマトタケルさん。それと俳句の松尾芭蕉さん。ヤマトタケルさんは北の国で戦いを終えて奈良に帰郷の途中この坂であまりにきつい坂じゃの~と休みをとらねばならなかったところ。芭蕉さんもこの坂で馬から落ちた?降りざるをえなかったくらいなんだこの旧坂は?といったといういわれの場所。伊勢平野は基本的に平らなのですが、四日市から鈴鹿に差し掛かるこの場所だけは急坂があり、ヤマトタケルさんが差し掛かった時は実は負傷されていたのでそれを介抱したのが地元の采女さんということで采女の杖衝坂となったようです。距離にして200M足らずの短い区間なんですが確かに登ってみると自動車なら1速2速じゃないと登れない坂です。一か所のただの坂道なら行く気も起らないかもしれませんね。実はお隣の西側の町の南小松町にも、間にある国道1号にも同じような急坂がありましていわばアクセルべた踏み坂が三つあります。この三つの坂を͡弧を描くようにコースどりすればクルクルと3か所とも回って、往復もしてみれば登り路あり下り路ありでなんだか楽しい道かもしれません。鈴鹿サーキットでいえばダンロップブリッジへの急坂のようなところです(笑)。ただ杖衝坂だけは住宅が周りにあるのと道が狭いので近所迷惑にならぬようになさってください。
我が町、我が地域の東海道の名所です。2カ月に一度、近所の方々とボランティアで清掃活動を行い、訪問者の安全確保と美観に努めています。
松尾芭蕉の句がある勾配の急な坂で、車でもかなり力を必要とします。石畳の坂の上には坂上姓が多いです。
大変急な坂道ですが、東海道の歴史の一つです。
近くなのでたまにいきますが、かなりの急な坂道です。
ホンマにしんどかった……そりゃ杖つきたくなりますわな。
旧東海道の杖衝坂は、古事記に記された日本武尊の東征伝承や、松尾芭蕉の句碑が残る坂道の史跡です。
松尾芭蕉も心が折れる杖付坂(*´ω`*)
舗装される以前なら雨でも降れば人でも、もう登れない位の急勾配さすがに東海道難所の一つで三重の由来になった所車で登りましたが急勾配でちっと怖かった
ごめんなさい❗自宅の墓掃除に行っただけで…
感慨深い場所
名前の通りです。
私の住む町。