シンと静かな境内社務所と思われる建物はあるが人の気配なし。インターホンを押す勇気はなかった
丁寧な手書きの御朱印を頂きました
朝から参拝の方が多い神社でしたね。
御朱印を貰いました。
住宅街の中に鎮座する小さな神社だが、拝殿の上に突き出るスカイツリーの見え方が何とも言えない雰囲気。拝殿左手にある宮司さんの自宅?をピンポンすれば御朱印もいただける。
秋葉神社御由緒祭神宇迦御魂命 うかのみたまのみこと (千代世稲荷大神)火產霊命 ほむすひのみこと (千栄秋葉大権現)昔この地を五百崎の千代世の森と云い千代世稲荷大的明神がまつられていた。草創は正応二年(一二八九)と伝える。江戸時代の始め善財という霊僧この森に庵を結び精修数年の後、秋葉大神の神影を彫み これを社殿に納めて消え去った。元禄の始め修験者 葉栄が神應を得てこの社に詣り祈願の利益をうけ、当時 請地村の長百姓 岩田與右衛門を通じ寺社奉行に願出て上州沼田城主本多正永の報賽にて、元禄十五年(一七0二)秋葉稲荷両社と稱して社殿を造営し又 千葉山 満願寺を興して別当となった。爾来鎮火の霊験、産業 縁結びの神徳により諸大名はじめ士庶人の信仰を受け、享保二年(一七一七)に神祇管領より正一位の宗源宣旨を受けるに至った。明治元年神彿分離令の施行により、秋葉神社と稱し別当満願寺を廃した。大正十二年の震災に社殿倒壊し、昭和五年復興したが、昭和二十年戦災にかかり 昭和四十一年氏子崇敬者の奉賽により現社殿を再建した。 社務所墨田区登録文化財 石燈籠 所在 墨田区向島四丁目九番十三号 秋葉神社内本殿に向かって一番近くにある石燈籠一対は、松平甲斐守吉里の室、源頼子が寛保元年(一七四一)奉献したものです。吉里は将軍綱吉の寵臣 柳沢吉保の子です。この石燈籠の右横にある一基は、前橋城主 酒井雅楽頭忠考が宝永六年(一七0九)に奉献したもので、その手前にある一対の石燈籠は、関東郡代 伊奈忠宥が宝暦八年(一七一八)に奉献しました。鳥居に近い石燈籠一対は、上州沼田城主で老中も勤めた伯耆守 本多正永が宝永元年(一七o 四)に奉献したものです。なお、この一対は〈墨田区登録文化財〉に登録されています。 当社は安藤広重の『名所江戸百景』に紅葉の名所として描かれ、『江戸名所図会』には「秋葉権現社、弘福寺より三丁あまり東の方 請地村にあり、遠州秋葉権現を勧請し(略)境内林泉幽邃にして四時遊観の地なり」とも書かれています。一方鎮火の神として将軍家や諸大名の崇敬があつかったといいます。平成五年三月 墨田区
水戸街道を歩いていて、路地の奥に神社が見えたので訪ねてみました。スカイツリーから徒歩10分くらいの所にあります。創建は13世紀ですが、関東大震災及び大空襲で被災し、その後再建されたそうです。境内のイチョウの大木が見事です。柿の実を鳥が盛んにつついていました。
いつもピンポーンはどきどき!でもとっても気持ちよく対応していただき気持ちよく御朱印頂きました。皆さんも一度寄ってみては如何ですか!
正月にたまたま通りがかり参拝させて頂きました。大きな神社ではありません。地元の方々が餅を振る舞われていて愛されている神社だと思いました
(2017/10/27参拝)大通りから一歩中に入った場所に、ひっそりとたたずむ静かな神社です。現参道はとても狭く、参道両脇に小さな店が軒を連ね、下町のかつて繁栄していただろう独特の雰囲気が感じられます。お話を伺ったところ、かつては小料理屋や料亭が神社の周辺にたくさんあって賑わっていたとの事。「昔は楽しかったよー」っておっしゃっておりました。境内は広くはないが、きれいな社殿と手入れがされている境内、たくさんの石造物などあり、あと近所の方の散歩道や休憩場所みたいになっている感じで落ち着きます。きれいな御朱印頂きました。周辺の雰囲気も含め、おすすめです。
別当満願寺を含むかつての広大な社地は戦災・震災ですべて失われてしまいました。歌川広重の名所江戸百景に当時の隆盛が描かれています。
住宅街にある落ち着いた雰囲気の神社です。御朱印に鮮やかな朱の天狗がもっているようなうちわの印がおされていました。
境内中央の大きなイチョウが印象的。手水はカラス被害から水を出していなかった。
丁寧に対応していただいた。
火除けの神。
御朱印頂けなかった。
火事から守ってくれます。
感謝