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前原伊助宅跡
日本, 〒130-0026 東京都墨田区両国3丁目2−4
外観
前原伊助宅跡
コメント
ei
件のクチコミ №1

墨田区でよくある看板のみの史跡の一つです。普通のビルの前に安っぽい高札がたっているだけです。ここいらにゆかりのある人たちは吉良方なので、スパイをやっていたこの男を記念するというのはいかがなものかとおもいます。まあ、吉良祭も義士祭がくっつけられて、なんでももうかればいいという、さもしい浮世ですから仕方ないのかもしれません。

神山
件のクチコミ №2

両国で江戸時代の史跡が残っていたら、それは世紀の大発見になるだろう。何しろ、第二次大戦の時の東京大空襲で焼夷弾の餌食にされて焼け野原になった場所だから、江戸時代の物が残るなんて不可能でしょう。そう言えば、横網町の震災慰霊堂のコメントに[空襲にあった]なんて書いてた人がいたが、あそこは空襲にあってないんです。米軍は神社やお寺は標的から外してたそうです。その為、空襲時に運命の分かれ道が起こったらしく、私がお世話になった人が子供の時に空襲に遭い、お世話になった人はそこに逃げ込み助かり、その人の友人は大震災で沢山の焼死者が出た場所ということで別の場所に逃げて亡くなったそうです。

乙名
件のクチコミ №3

赤穂浪士の一員、前原伊助が呉服屋に身をやつし(米屋五兵衛と名乗っていたが、屋号がヨネヤなだけであって、コメ屋をやっていたわけではないので、誤解なきよう)、吉良上野介の屋敷の間近で動静を探っていた場所。赤穂の浪人といっても江戸生まれなので、コトバが西日本アクセントで苦労するということはなかったろうが、武士が町人に化け、かつ人々に怪しまれないように商売もできたというのは、ずいぶん才覚のある人だったと見える。そのスパイ大作戦的な活躍で、講談でも盛り上がる部分である。

-こ
件のクチコミ №4

こんなに吉良邸の近くに住んで、監視役をしていたとは、度胸の有る人だったんですね。

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2.3 評価
  • 住所:日本, 〒130-0026 東京都墨田区両国3丁目2−4
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