user
狩野光信墓
日本, 〒511-0045 三重県桑名市伝馬町
外観
狩野光信墓

コメント
Ta
件のクチコミ №1

桑名ゆかりの偉人の史跡(逝去したのが桑名とのこと)狩野 光信は、永禄8年(1565年)生まれ - 慶長13年6月4日(1608年7月15日)桑名で逝去。安土桃山時代の狩野派の絵師。狩野永徳の長男。山城国で生まれる。はじめ織田信長に仕え、父永徳とともに安土城の障壁画などを描く。その後、豊臣秀吉に仕えた。天正18年(1590年)に父永徳が没した後、山城国大原で知行を拝領し、狩野派の指導者となる。その後も豊臣家の画用を務めた。慶長8年(1603年)京都の徳川秀忠邸(二条城)に大内裏図を作成。慶長11年(1606年)江戸幕府の命で江戸へ赴き、江戸城殿舎に障壁画を描くが、慶長13年(1608年)帰京途中で桑名で逝去。享年44歳(48歳説あり)。父永徳の豪壮な大画様式とは対照的な理知的で穏やかな作風。残念ながら戦国武将たちには不評であった様子。中世の大和絵を取り入れ、自然な奥行きのある構成や繊細な形姿の樹木・金雲などを描き、優れた花鳥画が特徴。歴史で有名な作品として、豊臣秀吉像、肥前名護屋城図屏風なと。

情報
5 写真
1 コメント
4 評価
  • 住所:日本, 〒511-0045 三重県桑名市伝馬町
カテゴリ
  • 史跡
バリアフリー
  • 車椅子対応の入り口:番号
同様の組織