本堂内に平田靱負の木像と宝暦治水を紹介したパンフレットがあります。私は工事責任者だった平田靱負の切腹については当時の武家社会の理不尽さみたいなものを感じて複雑なものがあります。余談ながら愛知県人である私は高校時代に旧佐屋町の町長さんの薩摩義士についての講演を聞く機会がありました。薩摩義士の墓を見ていると、講演の中で町長さんが「世の中には赤穂義士など色々な義士がいますが、自らを犠牲にして多くの人の幸せのために尽くした薩摩義士こそ義士中の義士であります」と語っていたのを思い出します。平田靱負の切腹はどうあれ、愛知県人である私は薩摩義士に対して感謝の念と冥福を祈るのみです。
三川分流碑、船頭平閘門、海蔵寺と巡りました。江戸、明治の治水事業の重要性が大変よくわかりました。
杉本苑子原作の孤愁の岸の主人公、平田靫負をはじめ宝暦治水事業の際に犠牲となった薩摩藩士のお墓が並んでいます。幕府の命令で一汁一菜の食事しか与えられない上にハードな仕事をしなくてはならなかったため事故が起きたり事故の責任をとって自害したり(靱負も工事終了後に責任をとって自害した)病死したりした薩摩藩士の苦労、無念が伝わってくるようです。
薩摩義士が祀られています。
街中にある。薩摩藩と縁あり。