心身の浄化・活力アップのパワースポット。5世紀後半に造られた、都内最大級の前方後円墳で、古代からのエネルギースポットです。無垢な自分を再確認する・魂の意志を思い出す・根源的パワーを取り戻すなど、瞑想・グラウンディングにも最適な場所。古墳の周辺は不思議な安心感もあり、木々に囲まれ優しく清々しいエネルギーがあります。古墳の頂上には環状列石(ストーンサークル)、古墳の下には縄文後期の貝塚があります。明治期に増上寺から切り離されたものの、本来なら「増上寺のパワーの要」とも言える、大事な場所です。かつては2代将軍・秀忠公の霊廟がありましたが、戦災で焼失し、霊廟の惣門だけは戦災を免れ、ザ・プリンスパークタワー東京の敷地内に現存しています。
三田線・芝公園/御成門・徒歩2分浅草線/大江戸線・大門・徒歩10分大江戸線・赤羽橋・徒歩5分日比谷線・神谷町・徒歩8分JR 浜松町・徒歩12分墳丘長:125メートル(案内板では106メートル前後)前方部前端幅:約40メートル後円部直径:約64メートルくびれ部幅:約22メートル東京都港区芝公園にある前方後円墳。東京都指定史跡に指定されている。築造は5世紀中頃過ぎ(4世紀後半との説もある)とみられ、墳丘長125メートル(案内板では106メートル前後)という都内では最大級の規模である。江戸時代には後円部頂が崩され、広場になっていたとみられている。明治26年に坪井が調査をしたところ埴輪や須恵器などの遺物を発見した。しかし遺構らしいものは確認できず、発見された遺物も周囲の小型円墳由来である可能性も否定できなかった。昭和54年3月31日に東京都指定史跡に指定されました。頂上に、なぜか伊能忠敬記念碑が建ってます
墳丘長125mの前方後円墳、築造時期は5世紀中頃過ぎ(4世紀後半との説もある)。東京都指定史跡。都内最大級の規模を誇る。被葬者は、南武蔵の有力豪族首長の墓と推定される。前方部には「大野伴睦句碑」が、後円部には「伊能忠敬測地遺功表」がある。古墳もりっぱな史跡なんだから、古墳内に無関係な石碑を建てない方がよいのでは?以下、 芝丸山古墳解説板より。「全長106m前後、後円部径約64m、前方部前端幅約40m、くびれ部幅約22mほどの、都内最大級の規模をもつ前方後円墳である。標高約16mの台地端に位置し、前方部を南南西に向けている。江戸時代以降、原形はかなり損じられており、とくに墳頂部や後円部西側は削られてしまっている。明治31年に、日本考古学の先駆者坪井正五郎博士によって調査されたが、すでに後円部中央に位置したと考えられる主体部(埋葬施設)は失われており、遺体や副葬品なども不明である。なお、埴輪を伴うことは知られている。前方部が狭く低い形態や、占地状態などから5世紀代の築造とみられており、そのころ、付近の低地の水田地帯に生産基盤をもち、南北の交通路をおさえていた、南武蔵の族長の墓だったと考えられる。」
芝公園の高台より下った所に、前方部を南南西に向ける前方後円墳である「芝丸山古墳」があります。
芝公園の東京タワー側ではなくプリンスパークタワーの裏手、芝東照宮の近くにあります。一見どこからどこまでが古墳か分かりづらいですが、石畳を登るとちょっとした休憩場所になっていて、芝公園を見下ろす事が出来ます。23区内で最大級の古墳と言うことで、登ってみる価値はあると思います。
芝増上寺〜東京タワー付近はパワースポットと言われ、徳川家の霊廟などのあった跡に現在のプリンスホテル&タワーがありますが、中でも、この、丸山古墳は凄いパワースポットだと聞き、一度行ってみたいと思っていました。真夏のとても蒸し暑い日の昼下がりに増上寺側の公園から階段を登って頂上に辿り着くと、蝉時雨がシャワーの様。中央には大きな石が鎮座し、周りをサークル状に石が取り囲んでいました。ベンチに座ると、不思議ととても涼しく、自然と心が静かになり、浮世の事も時間も忘れ、しばし、そこで佇みました。暫くして階段を降り、地上に戻ると、暑さと喧騒が戻って来て、初めて、この頂上が全くの異空間と呼んでも良い程の神域だった事を強く確信しました。心を落ち着けるのには、素晴らしい場所だと思います。是非、また訪ねたいと思います。
説明を読んで頂ければいいのではあるが、全長106mの前方後円墳で都内最大級とある。残念ながら相当に壊変されており、主体部もない。築造時期を五世紀(少し漠然としてはいるが)であれば既に大和政権連合の一員であったろう。この様な場所だったから保存されてきたのであろう。死ぬ前に行くことも出来ないので東京にいる長男が探訪してくれたのである。
静かで落ち着いた雰囲気 ゆっくりできる。又行きたい
ここ芝丸山古墳は、全長106メートルの東京都で最大級の前方後円墳で、昔は、埴輪が、あったとかないとか、今、古墳の上を普通に、あるけるので、良い古墳です。
折角行ったのにどこが古墳か分からなかった(泣)
都心に前方後円墳があることに衝撃をうけました。以前読んだ本には、縄文時代はこの辺りは岬になっており、ここら辺ら神聖な土地とされていたとのことです。その後も神聖な土地という認識が引き継がれて古墳やお寺が増えたのかは分かりませんが、たしかにこの一帯は神聖な場所が多いのです。散歩に行ってみるといいですよ!
都内最大級の前方後円古墳
かつてNHKのブラタモリでこの地が紹介されていました。縄文海進の時代、この場所は陸が海に突き出した半島状の先端、岬でした。中沢新一氏の著書「アースダイバー」によると、海や河川に突き出た半島状の先端(岬)は古代人にとって異界との境界であり、その境界を超えてなにか重大な意味や価値をもつものが現れてくるというのが古代人の発想だと述べています。この地は太古の時代から神聖視され続けた特別な場所。かつて飯倉山と呼ばれたこの地は芝大門の芝大神宮が鎮座していた場所でもあります。時代は下ってもこの地が異界との接点であることを人々は敏感に感じ取ってきた証拠なのでしょう。
以下引用築造は5世紀中頃過ぎ(4世紀後半との説もある)とみられ、墳丘長125メートルという都内では最大級の規模である。 江戸時代には後円部頂が崩され、広場になっていたとみられている。1892年(明治25年)、3年間の欧州留学を終えた自然人類学者坪井正五郎は日本へ帰国する船上故郷の風景を思い浮かべていると芝公園内にある丸山の高さに不自然さを感じた。翌年の1893年(明治26年)に坪井が調査をしたところ埴輪や須恵器などの遺物を発見した。しかし遺構らしいものは確認できず発見された遺物も周囲の小型円墳由来である可能性も否定できなかった。1979年(昭和54年)3月31日に 東京都指定史跡に指定された。
東京タワーが見えるここは駅から近いから結構いいと思います古墳好きの方は行ってみるべき
緑に囲まれた小高い丘で周りからは古墳だとわからないが、登ってみると古墳の形状がよく分かる。頂上までは結構勾配があり、頂上からの景色が良い。夏は木々鬱蒼としており、都心にこんなに緑があることがうれしい。
太古の息吹を感じる
築造が5世紀という都内最大級の前方後円墳があるなんてびっくりです。奥に進むと伊能忠敬測地遺功表などもあります。春は桜もキレイです。
芝公園のなかにあります。ザプリンスパークタワーホテルや東京タワーから至近。大門、浜松町駅からも徒歩20分ほどで着きます。全長106メートル前後、後円部径約64メートル、前方部前端幅約40メートル、くびれ部幅約22メートルほどの、都内最大級の規模をもつ前方後円墳である。標高16メートルの台地端に位置し、前方部を南々西に向けている。江戸時代以降、原形はかなり損じられており、とくに墳頂部や後円部西側は削られてしまっている。明治31年に、日本考古学の先駆者坪井正五郎博士によって調査されたが、すでに後円部中央に位置したと考えられる主体部(埋葬施設)は失われており、遺体や副葬品なども不明である。なお、埴輪(はにわ)を伴うことは知られている。前方部が狭く低い形態や、占地状態などから5世紀代の築造とみられており、そのころ、附近の低地の水田地帯に生産基盤をもち、南北の交通路をおさえていた、南武蔵有数の族長の墓だったと考えられる。
芝公園内にあります。全長100㍍以上都内最大級の前方後円墳です。五世紀頃に作られたものと言われています。
パッと見ても分かりませんが前方後円墳の古墳です。軽く説明があるだけなのでよくよく地形を見ないといけませんが、古くからの歴史ある場所です。
東京タワー近くの大規模な古墳。前方から後円に繋がる括れ部がしっかりと見て取れます。
ここの随身稲荷様はリアルにパワースポットです。休日の午前中は本当におすすめです。
この場所に古墳?何気なく素通りした感じでした。日本の大都市に古墳とは。只の荒れた広場のようで次回は良く観察してお知らせ!
上まで登ると眺めが良いですが、雨が降ると滑りやすくなります。
古墳らしさはありません ただ、眺めはいいです
形状がよくわからない。周濠はない。
単なる小山
芝公園にある古墳。貝塚もある。古墳や貝塚として保存も発掘も特にされてはいないが、公園として利用されている。古墳頂上には伊能忠敬の碑がある。
前方後円墳跡?です。