先ず、田町駅からの案内表示が無い!愛育病院まで行っても〜表示が何処にも無い!まるで利用者が来ない方がいい…みたい。で、喫茶処が玄関入って、靴脱いで、下駄箱に入れて〜奥に進まなきゃ行けない!本当に利用して欲しいのか?
2020年5月28日にオープンしてました!1936(昭和11)年に芝浦花柳界の置き屋、料亭、待合からなる「三業」を取りまとめ、芸者の取り次ぎや遊興費の精算をする施設として見番が建てられた。施主は三業組合長の細川力蔵氏で、1923(大正12)年に関東大震災という未曽有の天災が起きた時に、この災難を乗り切ろうと地元民が一致団結を図る時に先頭に立って働き、大正13年に南濱町会、現在の芝浦一丁目町会が発足、初代会長に就任している人物。そして目黒にある「昭和の竜宮城」といわれた雅叙園(戦争によって当時の面影が失われてしまったが)は、芝浦で日本料理、その後は支那料理も加えて料亭として産声をあげたが、その経営者でもあるのだ。意匠は雅叙園を細川氏と一緒に創りあげた総棟梁の酒井久五郎氏の手による。ワタクシ的には中国料理の関係で調べており...あ、「円卓にある回転盤は雅叙園から」という説がありまして、まぁ、あながち間違いではないのですが、ターンテーブル自体はそもそもイギリスや、日本でもすでに日本橋の濱の家や日比谷の山水楼で使用されてたそうですが、「我らが誇る三大名所、富士ヤマ、日光、 雅叙園」という位(え~っとコレは当時の雅叙園が自らの宣伝で使ったようですが...m(__)m)、様々な方々、多くの外国の方々も非日常の世界を楽しまれており、そこで見た螺鈿で彩られた漆塗の芸術品ともいえる回転盤を見た中国系の人々が「これは素晴らしい」と自国で使用し始めたと思われるので『広めた』が正しいと思われマス、という事や初代総料理長や二代目総料理長が誰だったのか、などと興味深いテーマがあるのデス。情報室や展示室に何かないかと楽しみデース(^_-)-☆敗戦後、港湾労働者の宿泊所として協働会館となり、その後は近隣住民の集会所として旧協働会館として利用され、平成12(2000)年に老築化のため閉鎖。取り壊しの予定だったが、文化財としての保護や地域活用を願う見識者や地元住民からの運動がおこり、この度の改修工事になったそうデス、という事なのでコロナ延期でしたが、早速うかがいマース♪
元見番ですがとても中はきれいになってます。
伝統文化が堪能できます。
修復が良い。資料も良くまとめてあり,感心。
現在(2020/8)、喫茶はテイクアウトのみですが、珈琲やジュースは¥150、スムージーは¥200と、この一帯ではとても良心的です。喫茶の裏方さんは就労継続支援B型の方々のようです。テイクアウトの時間は今のところ11~16時とのこと。見番のことや地域のことも興味深く、これまでの田町・三田とは違う情景が浮かびます。改めて、ゆっくり拝見したいです。
以前は芝浦花街の見番→協働会館、改修の後、昨年に再開されました。見事な木造建築で厚床されます。
なんたって都内最後の木造公共建築に、建築家も興味深い🎵
以前(20年前くらい)、ドラマか再現のロケでぼろぼろの木造建築に来たことがあり、その後もまだ有ることを何回か確認していて、近くを通ったので寄ってみました。瓦が吹き替えてあり、リノベで民泊施設になったかなと思ったら、なんと区の施設。ロケの記憶はおぼろげですが、ぼろばろの板場の上に「定」のおばけが出てくるようなシーン?
書道を堪能しました。
素敵な文化遺産です。
戦前の歴史ある建物。未来に残すべき建物。
昔の、見番を実感して下さい!
ビルやマンションの狭間に、ポツンと歴史を感じる建物です
大分出来てきました。
建物は現在取り壊されてます
保存工事が始まるようです。保存工事が終わり、今年(令和2年)の春から見学ができます。
現在、改修工事中です
素晴らしい