春日城跡平山城(760m/40m)遺構:土塁,郭,堀城主:伊那部氏・春日氏歴史:天文3年(1534年)頃に伊那部大和守重慶によって築かれたと云われる。 重慶は平家の末流で粟田口民部重吉の十六代の孫で、三百貫を領して十騎の将であったという。重慶の後は伊那部但馬守重成が継ぎ、更に子の伊那部左衛門尉重親が継いだ。この重親の弟重国は殿島城主で、弘治2年(1556年)武田信玄が伊那に侵攻した際に最後まで抵抗し、狐島で磔にされた上伊那八人衆の一人という。天正10年(1582年)織田氏の信濃侵攻により落城。重親の子とも考えられる春日河内守昌吉は高遠城に籠もり、城主仁科盛信とともに討ち死にした。説明:春日城は天竜川西岸の段丘に上に築かれており、現在は春日公園として整備されている。春日城は台地の南東端に主郭があり、北から西にかけて空堀を巡らせ、その外側に二の丸を配している。二の丸の西には更に空堀を設けて三の丸がある。
春日城跡春日城は天竜川の段丘上に築かれた平山城で、台地の南東端に主郭がありその外側に二の丸、三の丸があり其々が空堀で仕切られています。現在は春日公園として整備され高遠城と並ぶ県内有数の桜の名所として知られており、桜の時期には多くの人で賑わっています。【歴史】伊那の豪族伊那部大和守重慶の居城で、重慶の後は伊那部但馬守重成が継ぎ、更に子の伊那部左衛門尉重親。さらに重親の子春日昌吉が城主になった。天正10年(1582年)織田軍の甲州征伐に伴い本城の高遠城と同じく徹底抗戦するが、高遠城落城後に春日城は火を放たれ落城しました。【アクセス】春日公園の駐車場があります。JR飯田線・伊那市駅から徒歩約15分#お城 #城跡 #城巡り #桜の名所#春日公園 #春日城址公園 #春日城#長野県 #伊那市
城郭の遺構がとても分かりやすく残り、初心者にも楽しめる場所になっている。春になると一面に桜が咲き、幻想的な光景が楽しめる。
戦国期の地方城郭の形態をそもまま残す城跡です。くいちがい、桝形、横矢などはなく、単純な遺構ですが、深い堀で隔てられた縄張りは見やすく見ごたえがあります。
咲き初め