森鴎外がお気に入りの場所が長浜であったようだ。そこに佇んで馬関海峡を眺めるることができた。東京に帰ったら三脚を買ってきてここに座っていたいと作品「鶏」に書いている。今はかつての面影は全く無い。ここから北が馬関海峡であったが港湾工事で今は埋められていて海峡が見えない。長浜にあった門司口まで小倉城の石垣と壁があり、ここに門があった事がこの説明で分かる。参勤交代の大名行列はこの橋を渡り大里に向かう。門司往還と呼んでいる。大里といえば、私に思い浮かぶ風景は、長州藩と幕府の戦いがある。高杉晋作が率いる長州藩が幕府の陣がある大里の丘の麓にある海岸に上陸し幕府軍を撃破した後、この門司口から小倉城に入っている。
小倉城下から砂津川まで来ると門司口門跡がある。これと言った痕跡がないのが残念である。しかしながら参勤交代往還路としての重要な道であったことが説明によって理解できよう。少し歩くと岩松助左衛門の生家ある。白洲灯台建設に命を懸けた人物である。その墓が往還路に沿った西顕寺にある。P.S 我輩の母もこの近く(末広町)で生まれたのだ。そして菩提寺がこの西顕寺さんなんだ。
夜景も素敵😍陸橋の下、人と道と河と鉄道が織り成す、夢の交差点💫3号線から誤って外れて辿り着いた場所🚚謝りではなく、感謝でした❤By KazuMaro:Performer&FiredancerInstagram ID:maro_kazuma宜しくお願い致します🌈m(_ _)m✨