芝東照宮は、芝公園内で緑豊かな場所にあります。HPによれば『当宮「芝東照宮(しばとうしょうぐう)」は、当初、増上寺内境内に勧請された。増上寺は天正十八年(一五九〇)家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められた。』とのことです。
都営地下鉄三田線の芝公園駅が一番の最寄りですがJRだと浜松町、地下鉄の大門駅から歩いても10分前後です。東京タワーからも散歩しながら徒歩でいける距離なので、様々な場所からアクセスされるのも良いと思います。境内は都心と思えないほどしんと静まりかえっていて趣のある鳥居をくぐって階段をあがったまっすぐ先に本堂があります。本堂の右手前側には大きなイチョウもありますイチョウはは大きすぎて携帯電話で撮影するには困難かもしれません。広角レンズを使えば東京タワーも入るのでぜひ上を見上げていただけばと思います。御朱印帳は4種類展示してありわかりやすいです。日光の杉を使った御朱印帳は珍しいのではないでしょうか?他にお守りや木のだるまなど授与品もあります。おみくじはお賽銭箱の前に置かれています。
芝公園駅からすぐ、JR浜松町から歩いて10分強。増上寺と比べると目立たずひっそりとしたところにあります。徳川家康公が御祭神。平日しか行ったことありませんが、参拝で訪れる人はまだら。勝運、出世運のご利益があると言われ、参拝者は男性が多いように思いました。
☆三田線 芝公園下車 A4出口左側☆三田線 御成門下車 A1出口より徒歩5分☆浅草線・大江戸線 大門下車 A6出口徒歩10分☆大江戸線 赤羽橋下車 赤羽橋口徒歩10分☆JR浜松町下車 徒歩20分東京都港区にある東照宮。祭神は徳川家康。神体は徳川家康寿像。旧社格は郷社。日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つ元和3年増上寺の境内に創建されました。徳川家康は還暦の記念に「寿像」と呼ばれる自らの像を作らせ、駿府城にて祭祀していました。家康の死後、その寿像を祭祀する社殿を増上寺に建造するようにとの遺言から、社殿が造営されたのが始まりです。境内に三代将軍家光のお手植えの銀杏があります。
四大東照宮の一つです。あとの3つは日光、久能山、上野東照宮です。芝東照宮は芝公園の中でこじんまりしていますが、立派な東照宮です。そして日光東照宮のように極彩色の派手な感じもなく地味でした。芝東照宮は最初は増上寺の境内に勧請されました。増上寺は天正18年1590年の江戸入府時に徳川家の菩提寺と定められました。当時は日比谷でしたが慶長3年1598年、江戸城拡張工事に伴い、現在の地に移転しました。徳川家康は還暦の記念として、慶長6年1601年寿像と呼ばれる自らの像を作って駿府城で祭祀をしていました。死に臨んだ際、自分の死後はその像を祭祀する社殿を増上寺に造るようお見舞いに来た増上寺の僧侶に遺言したので、元和3年1617年に社殿を竣工。家康の戒名から安国殿と称されました。安国殿は明治期の神仏分離により増上寺より分かれ、東照宮と称するようになりました。第二次世界大戦で社殿は焼失しましたが、寿像と徳川家光の植樹したとされる大銀杏は無事でした。以上ホームぺージより抜粋しました。正面より向かって左側に社務所があり、お守りを受け、御朱印も頂けます。
増上寺の近くで目立たないが、結婚式もできる由緒ある神社。参道入口の桜は見事。
芝増上寺に隣接する東照宮です。歴史を感じさせる神社ですが、御朱印が書き置きなのが残念でした。芝公園の一角にあり、元来は増上寺内の社殿であった。徳川家康が慶長6年(1601年)に還暦を迎えた記念に自らの像を刻ませた「寿像」を、自身が駿府城に於いて祭祀していた。元和2年(1616年)家康は死去に際して「寿像」を祭祀する社殿を増上寺に建造するよう遺言した。同年10月に着工し翌元和3年(1617年)2月に竣工した。この社殿は家康の法名「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」より「安国殿」と呼ばれた。これが芝東照宮の起源である。その後、3代将軍家光により寛永10年(1633年)に新社殿が造営され、旧社殿は開山堂となった。寛永18年(1641年)には移転改築がなされた。駿府城より移築された惣門、福岡藩主黒田忠之が寄進した鳥居、本殿の周囲に拝殿、唐門、透塀が造営され豪奢な社殿が整った。明治初期に神仏分離令により、増上寺から切り離されて芝東照宮となった。明治6年(1873年)郷社に列した。本殿は大正4年(1915年)、当時の古社寺保存法に基づき特別保護建造物(現行法の重要文化財に相当)に指定された。しかし、昭和20年(1945年)5月25日の東京大空襲により「寿像」と神木のイチョウを残し、あとは全て焼失した。昭和44年(1969年)現在の社殿が再建された。
都会の中にあって静かな佇まいです。仕事前にお勧めです。
東照宮としての知名度は低いが、徳川将軍家の菩提寺である増上寺の敷地に隣接する地に鎮座している事から結構重要なポジションにある神社なのかと考えられる。御神体は家康公の木像である。
増上寺境内に併設される、徳川家宝物展示室では狩野一信の五百羅漢図が展示されており、圧巻の一言です。全百幅を一定期間に十幅ごと掛け換えて展示しており、何度も足を運びたい内容です。
芝東照宮は、当初、増上寺内境内に勧請されました。増上寺は天正十八年(一五九〇)家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められました。当時は日比谷にあったが、慶長三年(一五九八)江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転しました。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持ちました。この増上寺境内の家康公を祀る廟は、一般に安国殿と称されました。これは家康公の法名「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」によるものです。安国殿の御神体は慶長六年(一六〇一)正月、六十歳を迎えられた家康公が自ら命じて彫刻された等身大の寿像で、公は生前、駿府城において自らこの像の祭儀をを行っていました。死に臨んで家康公は、折から駿府城に見舞いに参上した増上寺の僧侶に、「像を増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」と仰せになり、この像を同寺に祀るよう遺言していたもので、安国殿の創建の時に造営奉行であった土井大炊助利勝(後の大老・土井大炊助利勝)の手により駿府から護り送られたのでした。安国殿は明治初期の神仏分離のため、増上寺から分かれて東照宮を称し、御神像を本殿に安置・奉斎しました。明治六年(一八七三)には郷社に列し、社殿は寛永十八年(一六三三)の造替当時のものが維持されていましたが、昭和二十年(一九四五)五月二十五日の戦災により、御神像の寿像と天然記念物の公孫樹を除いて社殿悉く焼失しました。昭和三十八年(一九六三)には寿像が東京都重要文化財に指定され、昭和四十四年(一九六九)八月十七日、復興奉賛会により社殿の完成を見て今日に至っています。御朱印頂きました。
芝公園の中にある東照宮です。小雨降る平日午前中だと人気がなくひっそりとしており、厳か~!!
3月から当地にご縁があって通っています。毎朝、増上寺、芝東照宮と参詣しています。気持ちが晴れやかになって自然と前向きに生きる気持ちになっている気がします。私に足りなかったものは日々の感謝だったのです。
大銀杏があります
芝公園に隣接するこじんまりした神社です。東照宮と名がつく神社だけあって、とても綺麗な神社で、芝エリア観光のついでに立ち寄るのも良いと思います。
都会の中とは思えぬほど静かでパワーを感じる。
御朱印を頂きに参拝。芝増上寺内で神君家康を祀っていた安国殿という廟が、明治の廃仏毀釈の折に増上寺から分けられたのがこの芝東照宮の始まり。
お昼ご飯時に芝公園でまったりしたあと東照宮にお参りします。徳川さまのふところに包まれるのかここでは皆、外国人も日本人もほのぼの幸せな顔をしてます。
4つある東照宮のひとつです。緊急事態宣言中にウォーキングで通りました。こぢんまりとしていますが素敵な東照宮です。家達さんは宗家16代目ですね。
■20190219芝公園にある芝東照宮にきました。紅白の梅を眺めながらお参りしました。その後、御朱印を丁寧に書いていただきましたよ
浜松町駅から増上寺についたら、左に曲がって2、3分の所にあります。徳川家康を祀る神社です。
増上寺とともにぜひお参りください。
増上寺の隣の一段上がった森のなかにあります。本堂までの道がいい感じです。本堂は朱色の塗装がやや派手ですが、綺麗です。
ビルの中のありましたが緑があって静かな所でした。御朱印を頂きました。
日光東照宮と関係があるようで、年始の初詣に毎年伺っております。(私の家系が徳川家に縁があるらしいので。少し歩けば隣には増上寺があり、そちらも徳川家に深い縁があるとのことですが、私は東照宮押しです。お年始の増上寺は人も凄いですし笑広大な芝公園の中にひっそりあるので、多分地元の方しか来ないんじゃ無いのかな。と言う感じですが、個人的におすすめです♪
御朱印は概ね16時までとのことです。当然のことですが、宮の方が用事あるときは早くに終わるそうです。今日は無理言ってすみませんでした。
実は最近まで知りませんでした。ひっそりと控えめなのに、素晴らしいパワーを感じました。
小さい神社ですが落ち着く神社です。宮司さんが丁重に御朱印を頂きました。
静かな佇まいの中の、芝東照宮、朱の拝殿、手を合わせると、静かに時間がなかれます。石段下の横には、御神木の銀杏は徳川家光公が植えたと言われる、由緒ある巨樹。
静かな芝公園の横にあり、気軽に参拝ができる。
都心のオアシス。神社に鈴がありません。いたずらする人がいるからみたいです。いたずら目的で参拝しないでほしいです。落ち着いていて、良い神社です。
朝は、静かで良いです。樹齢のある銀杏木があります。
増上寺の隣に有ります芝東照宮。朝早かった(8時55分位)のでどうかと社務所に居られた宮司さんに御朱印お願いしましたら、こころよく引き受けて下さいました。こちらも徳川ゆかり有る神社なので増上寺と合わせお参りすると良いですね。梅の花 紅梅と白梅 セットで咲いていました。綺麗でした。
こじんまりした、綺麗な神社です!
落ち着いた雰囲気で歴史もあって良かったです!御朱印貰えて御神木あります。
地味ですが 安らぐ空間です。梅の季節がオススメ!
人は少ないです。ゆっくり参拝出来ます。
芝の東照宮上野の東照宮の方が後に出来て、ごうかなんだって~🤔
元和2年(1616)に家康は死去に際し「寿像」を祭祀する社殿を増上寺に建造するよう遺言しました。翌元和3年に竣工した社殿は家康の法名「安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」より「安国殿」と呼ばれました。これが芝東照宮の起源です。日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つとされます。
コンパクトな境内に立派な社殿と質素な社務所。御朱印もいただけます(500円)。御朱印には、日光の杉で作ったしおりを挟んでもらえます。
こじんまりした東照宮です。御朱印は御朱印帳に書いて頂くタイプではなく、書かれているのを頂きました(御朱印帳に貼る)
(18/01/20)御朱印(500円)をいただきました。梅が咲き始めていました。オリジナル御朱印帳があります。日光東照宮のオリジナル御朱印帳もありました。御祭神徳川家康公社格:郷社神体は木造徳川家康坐像(寿像)。元来は増上寺内の社殿、明治初期の神仏分離令により増上寺から切り離されて芝東照宮となりました。都営地下鉄:芝公園駅直ぐ。都営大江戸線:赤羽橋駅より750m。
芝公園の横にひっそりとありました。
何となくパワーをもらえました。
芝公園となり、東京タワーも近くにあります。静で落ち着いた神社でした。大きくはありませんが立派な神社です。御朱印もあり。
三田線芝公園駅から徒歩3分御祭神 徳川家康公 大きい神社ではありませんが力強くパワーを感じます。参拝後日光杉並木古材の🔖を頂けます。御朱印¥500
芝公園近の 芝東照宮 に行ってみました!!日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ四大東照宮の1つとされてるみたいですね☺️本家の 日光東照宮 にも一度は行ってみたいです✨
芝公園に隣接してます。御朱印を頂きました。その時に日光杉の栞を頂きました。
小さくて静かなところです紅梅が咲いてます
静かで落ち着いた空間。
徳川家康、秀忠、家光ゆかりの増上寺、墓所もあり、東照宮の銀杏の木も樹齢400年で歴史を感じた。
芝増上寺の右側にあります。徳川家康が御祭神。浜松町駅より徒歩でも行けます。
家康を祭る東照宮なのだが、あまり他の神社と差異はなく、小規模。
ここ芝東照宮は、徳川家康公を祀る神社で、日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮、芝東照宮の4東照宮の一つで、増上寺の近くに、位置して居ます。本殿の中には、徳川家康公の像が祀られているそうです。とても良い場所でした。
芝公園の隣にあるお宮さん💕日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つとされ、徳川家康公が祀られています😄 東京都の天然記念物に指定されている御神木の大イチョウの木が目を引きます✨太い幹がとても頼もしく、悠久の歴史を感じずにはいられません♪参拝客もちらほらいて、ツアー客の方々も見えました❣️御朱印は、社務所でいただけます!書いてくださった年配の男性によると、前日の台風15号の影響で、境内の木が3本倒れてしまったとのこと😣よく見ると、台風の爪痕がそこかしこに見られました💦台風一過で、厳かな雰囲気を取り戻しつつある境内は、緑豊かで都会の真ん中とは思えない環境♪😉社務所の方もとても気さくで、お話していて楽しかったです👍🏻36℃の猛暑の中を歩いてきた私にはオアシスのような時間でした🥰
芝公園のとなりに鎮座しています。元々は増上寺の境内に鎮座。その後分祀。境内には家光公お手植という公孫樹あり。東照公の孫(家光)の樹という洒落ですか?
めちゃ、宮司様方が親切でした御朱印✨嬉しかったです
18年12月訪問なんの変哲もない普通の神社。宮司さんの対応もいまいちでした
静かな場所で癒されます
〔芝東照宮/Shiba Tosyouguu Shrine〕徳川家康公の等身大の寿像をお祀りする神社です。芝公園をはさみ、増上寺の横にあります。<還暦に刻まれた寿像>徳川家康公 は、還暦を迎えた時に、自分の等身大の寿像を作らせました。そして、自らの死後は、増上寺にお祀りするよう遺言されました。元和3年(1617年)に、増上寺の安国殿として、この神社は創建されました。徳川家康公の法名、安国殿に由来しています。三代将軍 徳川家光公は新社殿を造営し、いちょうの木を植えたとのことです。その木が今でも、大木として残っています。<明治時代に神社に>明治初期の神仏分離政策で、増上寺から独立して神社となりました。戦争により、焼けてしまいましたが、昭和44年(1969年)に再建され、現在に至っています。家康公の寿像は戦火を逃れることができました。徳川家康公は、自ら築いた平安な国家の行く末まで、見守りたいという 強い信念をお持ちだったことが、この神社をお参りしながら、強く感じられました。〔アクセス〕都営三田線 芝公園駅 駅前。
徳川家の三つ葉葵の家紋を度々にお参りしております。
敷地は狭いですが他の東照宮と負けていないと思います。
地味ですが良いところだと思いました‼️
増上寺の隣ですが、参拝者が少なく、神聖な感じです。御朱印をいただきました。
浜松町から徒歩10分程度にあります。多くの観光客が訪れている増上寺とは異なり、観光客はほとんどいませんでした。日比谷通りから鳥居をくぐり、参道を進むと階段の上に小さな拝殿があります。また、境内には家光が植えたといわれる神木のイチョウがあり、黄金に色づいていました。
芝公園のすみにひっそりとたたずむ社 御朱印も手書きで丁寧に書いて頂きました。感じのいい宮司さんでした。
御祭神:徳川家康御由緒:当宮は、当初、増上寺境内に勧請された。増上寺は天正十八年(1590)家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められた。当時は日比谷にあったが慶長三年(1598)江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転した。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持った。この増上寺境内の家康公を祀る廟は、安国殿と称された。これは家康公の法号「一品大相国安国院殿徳連社崇誉道和大居士」によるものである。安国殿のご神体は慶長六年(1601)正月、六十歳を迎えられた家康公が自ら命じて彫刻された等身大の寿像で、公は生前、駿府城において自らこの像の祭儀を行っていた。死に臨んで公は、折から駿府城に見舞いに参上した増上寺の僧侶に、「像は増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」と仰せになり、この像を同寺にに祭るよう遺言していたもので、安国殿の創建の時に造営奉行であった土井大炊助利勝(どいおおいのすけとしかつ)(のちの大老)の手により駿府から譲り贈られたのである。安国殿は明治初期の神仏分離のため、増上寺から分かれて東照宮を称し、御神像を本殿に安置・奉斎した。明治六年(1873)には郷社に列し、社殿は寛永十八年(1633)の造替当時のものが維持されていたが、昭和二十年五月二十五日の戦火により、御神像の寿像と天然記念物の公孫樹を除いて社殿悉く焼失した。昭和三十八年(1963)には寿像が東京都重要文化財に指定され、昭和四十四年(1969)八月十七日、復興奉賛会により社殿の完成を見て今日に至っている。(頒布のリーフレットより)
御朱印は、500円ですが、日光杉の古木から作られた木札のお守りもいただきました。
芝公園の一角にある静かなお社です。御朱印をいただいた際、杉のしおりをいただきました。
静けさの中に伝統を感じさせます
御朱印は朝9時半からです。8時ごろから神主さんがいますが9時半までは対応しません。御朱印は書き置きなのだから、対応してもいいとは思いますが。なお御朱印は500円です。
公園の中にあります。御朱印待ちはそれほどなく丁寧に対応していただけました。日光東照宮の記念御朱印帳もこちらで販売されておりました。
増上寺の横にある徳川家康が祀られている神社です都営地下鉄芝公園駅から徒歩5分ほどのところにあります神社前の道路が4車線の道路でガードレールがあり横断歩道を渡るためにちょっと遠回りする必要があります比較的小さいですが神木の大銀杏と朱色の鮮やかな社殿が綺麗です御朱印は本殿横の社務所で16時半くらいまで頂けるようです神職さんが1人で書いていらっしゃるようなのでいただくまでに少し時間がかかる場合があり時間に余裕を持って参拝すべきでしょう徳川家の家紋と芝東照宮の存在感のある墨書きが素敵です御朱印と一緒に古杉で作られた御守を頂けました