川越夜戦跡である。すぐ後ろが新河岸川で自然の要塞であった。11000の北条と80000の上杉の戦いであるが、今は碑が立つのみである。東名寺口合戦といわれるほど、寺領は広大だったというが、その名残は見られない。松本清張の「黒い空」の導入部に、この戦いのことが書いてあって、来てみた。
静かで落ち着いた雰囲気です。猫がお迎えしてくれました。
今、話題の鬼滅の刃モチーフにしたお花のオブジェが見れます。また、お花の手水が2ヶ所あり、毎週変えられているので楽しみの一つです。水上公園が隣接しているので散策するにはいい場所です。
日本三大夜戦(日本三大奇襲)の一つである「川越夜戦(かわごえよいくさ)」の激戦跡地。室町時代、川越城をめぐる戦い。扇谷上杉朝定(元川越城の主)が川越城を奪還しようと、山内上杉憲政、古河晴氏と連合軍を組み川越城を包囲。連合軍は約8万の大軍。比べて、包囲された川越城に篭城する北条軍は約3千人。約半年間、篭城していた北条軍に援軍約8千人が到着。闇夜に乗じて連合軍に奇襲をかけ、見事勝利。油断していた連合軍は、散り散りに敗走。北条軍の死傷者は若干名、連合軍は1万人近い死傷者を出したといわれる。境内には、川越夜戦の碑が建てられ、戦いで破れた将兵の遺骸を納めた富士塚が残っている。
川越夜戦のあった寺。歴史的価値はあるが、行ったからといって、よほどの歴史好きな人いがいはあまりインパクトはない。大銀杏が見事。
境内にみごとな銀杏の大木があり、銀杏の実が大量に落ちていました。参道は綺麗に掃き清められています。
川越でも歴史が古いお寺です。神仏混合の時代からのお寺で敷地内にお稲荷さんがあります。おじいさんとおばあさんと父親のお墓があるので、年間最低でも5回は行きます。
川越夜戦の跡。兵の息吹が伝わって来ます。今は、にゃんこが楽しそうにお庭を闊歩しています。
時宗の寺院読み方は「トウミョウジ」
1000年以上の歴史を持つ我が家の菩提寺です。
河越夜戦の主戦場と伝わりますが、ここが戦場であったという根拠は良質の資料には出てきません。北条氏康自身も、河越夜戦をこことは河越城を挟んで反対方向にある「砂窪」の戦い、と書き残しており、ここが河越夜戦の主戦場だったという伝承には疑問符が付きます
トイレが母屋しかないのがマイナスです。
河越夜戦石碑ありで、歴史好きには、貯まりません。
大きなイチョウの木があります
川越夜戦跡=市指定史跡(昭和33年3月6日)